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わかっちゃいるけど、測ればいいってものでもない?

測定機器や薬剤等のめざましい進歩によって、少し前だったら、到底わからなかったことが、詳しくわかるようになってきました。

それはさておき、健康診断とか検査でもよいですし、学校の成績等の評価でもよいのですが、ご自分のおおよその感覚として、測ることが役立ったケース、そうでもなかったケース、どんな例が思い浮かぶでしょうか?

日常生活ならば、スマホが教えてくれる万歩計や血圧など、仕事ならば、人事評価や成績など、好むと好まざるとにかかわらず、測ること、測られることとは、無縁で暮らせない感じですね。


ですが、結論からいうと、本書『測りすぎ』は、測りすぎには弊害が多い、ということを多くの例をあげつつ指摘してくれています。

本書があげているケーススタディに、大学、学校、医療、警察、軍、ビジネスと金融、慈善事業と対外援助があります。


この中の教育分野では、人が集団の中で育っていく課程で、相対評価をすることの弊害はずっと前から言われています。

私のように生き物の健康管理をする仕事でも、測りすぎはかなり問題、と感じることが多いです。

具体例を挙げると。
人間も樹木もまったく事情は同じと思いますが、仕事につながるので、高価な最新鋭の機器を導入します。すると、どうしても、経済性というものがついて回るようになります。

一昔前に、稼働率を上げるために、しなくてもよい検査を病院でたくさん受けることになり、それが患者さんには不利益になった、という弊害が指摘されていましたよね。

両方のケースがあるので、難しいのですが、最新鋭の機器で救われる人もいれば、それでかえって不要な検査や治療を受けることになり、ダメージを受けたり、命を落としたりする存在も出てくる、ということですね。

なので、私は最初の頃に口にしていた格言のようなものを、あるときから変えました。

以前は、「予防に勝る治療なし」「早期発見、早期治療」だったのが、早期治療は、必ずしも勧められないぞ、と思い直すことに。

聞かれたことがあるかもしれませんが、子どもや大人でも、結構、深刻な病気が自然に治った痕跡があとで発見される、というのは、少なからず聞く話です。

だから、早い段階で、過酷な治療をするのは、必ずしも善とはいえない。その判断は、とても難しいと考えられるようになってきました。

神ならぬ身です、どちらか選んで、一か八か、やってみないとわからない。

とすれば、「早期発見、早期治療」は、完全に、ケースバイケース…

そんな事情から、「予防」が何にも勝る、と考えるようになりました。

何でもそうですが、行為には、ほぼ必ずといってよいくらい、メリットとデメリットがあります。

測ることに関しては、だんだん行き過ぎて、本書のタイトルのように「測りすぎ」になっているケースは少なくないかもしれません。

従来通りに測らないですませるには、勇気や根気が必要なこともあると思います。

が、ここで本書のタイトルの原題を見ると、The Tyranny of Metrics となっています。
 Tyrannyの意味は、暴君、専制君主制、専制国家など。
Metricsは、測定基準、指標など。

なんだか、平穏でない空気…

測ることが、暴力的な結果につながっていかないよう、十分に注意する必要は感じられますね。

最後になってしまいましたが、本のご紹介を。

『測りすぎ』ジェリー・Z・ミュラー、みすず書房(2019.4)

目次も興味深いので、後半だけ、入れておきますね(前半は理論的考察で固めなので、大胆にも?省略します)。

14 透明性が実績の敵になるときー政治、外交、防諜、結婚

15 意図せぬ、だが予想可能な悪影響

16 いつどうやって測定基準を用いるべきか ーチェックリスト)

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