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経験を積むことで、かえって見えなくなっていることはない?

初夏なのに、けっこう肌寒い?と思っていたら、東京でも、30度越えなどと言っていて、寒暖の差の大きいこの頃ですね。

こういう気象条件は、植物にとっても厳しいはずですが、人間だって。
体調をくずされたりしてませんか?

さて、その植物について学んでいる大学では、講義の後に、ふりかえりシートなるものを書いてもらっています。

目的は、その後の講義の作戦を立てる参考にさせてもらったり、学生に、学んだことや自分の意見をまとめる機会をもってもらったり、するためです。

学生に限りませんが、若い人とやり取りしていると、ハッとすることが多いですよね。

生物にとって(人間も生物ですよね?)環境は、とても大切。
自然、生態系、生物多様性は大切。
きっとみんな、年代を問わず、知識としては理解しているはずです。

そして、人は、経験を積めば賢くなっていくはずなのに、なぜか、経験を積むことが、ものごとをよくする方向からどんどん遠ざかってしまうのは、なぜ?

今のように、厳しい世界、社会の状況を見ると、「そういうもんだ」ですませたくはないと感じます。


ふりかえりシートに話を戻すと、次のようなテーマで先日、学生に考えてもらいました。

「樹木の伝染病のリスクが高いから、大木を積極的に切るのがよい」という提言に対して、自分はどう考えるか?


戻ってきた答えのどれも、私には、とてもまっとうなものに感じられました。

具体例を少しあげさせて頂きましょう。

・大木には何十年、何百年の月日をかけてできる唯一の神秘的な美があって、人を感動させる。

さらに、樹洞をすみかにする動物もいるから保全すべき。多様な生育環境は、豊かな生態系につながる。

・時と場合による。人に被害があるかどうかによる。
防除を、地域ぐるみまたは、学生や大学生がやるのも面白そう。

・病気にかかりやすいから切るというのは、賛同しかねる。

理由は、健康な時に、胃がんになる可能性があるから胃を取る、というのと同じことに感じるから。
切る以前に、予防を徹底することを考えた方がよい。

・リスクが高いからと言って、今生きている大木を切るのは、望ましくない。
どんな樹木でも、多少のリスクはつきものだと思っているので、病気にかかっていない木を切ることはして欲しくない(人間は欲深いなーと思った)。

・人の都合で木を植え、人の都合で切る、ということに抵抗感を抱く。
二酸化炭素の固定だけが木の役割ではない。
切らなくてはいけないにしても、積極的に、でなく行いたい。


・慎重でありたい。
病気のかかりやすさは、環境次第で変動するし、大木には、他の生物との関わりや人間から見た文化的価値があるので。


長くなりましたが、こんな感じです。

いかがでしょうか?


生まれた時代によって、受ける教育も、自分を取り巻く環境も異なります。

それにしても、私の周りにいる若い人は、経験は少なくとも、本質的に重要なことに気づいている(過去の経験や教育の結果として?)人が多いと感じます。

そんな若い人たちが、望ましい方向を目指して進んでいくのをサポートする、せめて邪魔はしない先輩でありたい、と学生の書いてくれた文章を読んで、今日も感じました。

そのために、自分にできることは何でしょう? そして、やめなくてはいけんないことも。

それを考えてみたいですね。



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