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構造主義的起業論(反自失誘引論)ー自己保有コンテンツへの視座ー

はじめに

 特定行政書士・社会学者の近藤秀将(こんどうひでまさ)です。 

セミナー(2021.7.10)
@本の森はんのうブックセンター

  さて、構造主義という思想があります。
 これは、私見を交えて端的に言えば「社会の潜在構造を抽出し、当該構造によって現象を理解・制御する方法論」となるでしょう(本稿は、学術論文でないため、この程度にしておきます。構造主義への入門には、橋爪大三郎『はじめての構造主義』内田樹『寝ながら学べる構造主義』が勧めです)。
 これから本稿において、この構造主義的思考を起業の場面に適用する有用性・優位性について論じようと思います。

「自失誘因」という怪現象

 私は、これまで行政書士等の実務家として多くの起業者と接してきました。
 そして、その起業者の多くは失敗し、経営という「場」から退場していきました。
 この点、「起業、九割失敗」と良く言われますが、中小企業庁データでは、日本の企業生存率は1年後:95.3%、3年後:88.1%、5年後:81.7%となっています(中小企業白書2017,p109「コラム2-1-2②図 起業後の企業生存率の国際比較)。つまり「起業、九割失敗」という現象は起きていません。

 しかしながら、私は、自らの体感としては、やはり「起業、九割失敗」であると考えます。つまり、これは、「生存」「失敗」の定義の問題にすぎないということです。
 中小企業庁データは、廃業してなければ生存としています。また、そもそも帝国データバンク登録企業のみが対象であることも問題です(個人事業主レベルの排除)。
 しかしながら、起業の多くは、個人の発想・想いから出る行動です(個人事業主が主体の現象)。だからこそ、「起業、九割失敗」となるのです(ただし、この個人の発想・想いこそが起業には重要だと考えます)。
 そして、私は、この起業という場面において何度も「ある怪現象」を目撃してきました。
 それは・・・

 起業者の多くが、自ら進んで失敗を選択している。

 起業をするなら成功しようと考えるのが当然です。
 失敗するために起業する人はいない・・・はずです。
 しかしながら、多くの起業者が、自ら進んで失敗を選択し、実際に失敗している現象が起きている。
 このあきらかに不合理である現象=自失誘因(ジシツユウイン)が起きる理由は何か?
 私は、この怪現象について考えてみました。

私見:「構造」とは何か?

 構造主義において最も難解なのは、「そもそも「構造」とは何か?」ということです。

「構造」とは何なのか? これには、諸説ある。 まず、マルクス主義にいう「上部構造」(物質的・経済的活動に支えられている、観念やイデオロギー)みたいなものではないか、というもの。これはまあ、見当はずれだろう。 つぎに、無意識と関係あるらしい、というので、フロイトの「潜在意識」みたいなものではないか、というもの。多少の関係はありそうだが、でもだいぶ違うようだ。 さらに、デュルケーム学派の影響を受けたということで、社会学者デュルケームのいう「集合表象」(個々人ではなく、社会集団が抱いているとされるイメージ)の一種ではないか、というもの。これは案外、正解に近そうだが、集合表象という概念が、構造に輪をかけてわかりにくいので、一応パスしておこう。

橋爪大三郎,1988,『はじめての構造主義』講談社現代新書.

 引用文にもある通り、構造主義における「構造」というのは、難解です(引用文では、上部構造を例示していますが、私は、下部構造の方が「構造」のイメージに近いです)。なお、同書において橋爪は、「構造」とは、「数学の中にある隠れた秩序」としています。
 どちらにせよ、なかなかイメージし難いのが「構造」ですが、私は、この「構造」は、ルールの一種であると解釈しています。

「構造」=非表層的ルール

 この非表層的ルールというのは、明らかに注意喚起されるような表層的なもの(法律等の成文法や常識化された理論等、「他者」によって解釈され定立された条件)ではなく、自己解釈条件と考えています。そして、自己解釈条件は、自ら定立するからこそ、他者からの搾取への対抗手段となり得ます。この自己解釈の過程において、必ず言語化が生じます。言語化が不十分な自己解釈条件は、ツールとしては「欠陥品」となります。

「構造」=非表層的ルール

 自ら進んで失敗する起業者(以下「自失誘因起業者」)は、この「構造」=非表層的ルールではなく「他者」が定立した表層的ルールに基づいて行動するため、自ら進んで「他者」からの搾取の対象となり、非理想的環境下(疎外環境)での努力をすることになります。これは、自失誘因起業者は、「他者」から与えられた表層的ルールこそが、成功の方法だと理解する傾向にあるからです。彼らには、自己解釈という視点がないからこそ、「他者」から与えられたものに権威性と再現性を見出してしまう・・・。
 ところが、それらは、確かに「他者」にとっては、自己解釈条件であり、起業成功条件であるかもしれませんが、「他者」と完全な同一性がないため、失敗へ誘因するルールに転換され得るのです。

私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。

内田樹,2002,『寝ながら学べる構造主義』文春新書.

まとめ:自己保有コンテンツへの視座

 自失誘因起業者にならないためには、まず、自らのコンテンツを見極め(棚卸し)、自己解釈の前提を作る必要があります。
 ここで言うコンテンツというのは、自らの知識、経験、技能、金銭可換資産(現金、不動産、債権、知的所有権、美術品等)です。さらに、これらは、次のαとβに分けることがでぎす。

α  知識、経験、技能(属人的)
β  金銭可換資産(非属人的)

αは、属人的コンテンツ、βは、非属人的コンテンツです。βは、非属人的でありながらコンテンツとしての価値を持つところがポイントです。つまり、譲渡(相続)可能であり、これらを保有する優位となる「構造」を創り上げる集団(階級?)が形成されていきます。その結果として「富裕層」「貧困層」の二極化が進んでいきます。
 だからこそ、一部の多くのβを保有する「富裕層」以外の起業者は、αについて「他者」との差異を徹底して見極め(棚卸し)=視座確立し、自己保有コンテンツが最も有効に活用できる「構造」=非表層的ルールに基づき起業することが、成功の最前提条件であると考えます。

自己所有コンテンツへの視座=最前提条件

 しかしながら、私の経験上、この自己保有コンテンツへの視座を確立せず、「他者」が定立した表層的ルールに基づく起業者が多いです。
 だからこそ、「起業者の多くが、自ら進んで失敗を選択している。」という現象が起きているのではないでしょうか。

参考文献(近藤秀将)

外国人雇用の実務<第3版>

こんなにおもしろい行政書士の仕事<第2版> (こんなにおもしろいシリーズ)

アインが見た、碧い空。: あなたの知らないベトナム技能実習生の物語

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