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2020年の活動を振り返ります。

↑ミンダナオでは8匹くらいの猫の面倒も見ていました。

大晦日ですね。みなさま、2020年お疲れさまでした。

年末なので、少し私にとっての今年を振り返ります。「世界にとって」とか大きいことを言ってもいいんですが、胡散臭くなりそうなので、自分の話にします。不肖わたくしがどういう研究しているかなどご存知の方は、目次から「ミンダナオ」「Note」のセクションに飛んでいただければ同じこと読まないで済むかと思われます。

仕事

2019年からNUSの「冷戦再考 ー アジアの草の根における経験」プロジェクトに関わっています。50人以上のアジアで調査している研究者たちと協力して、既に3回ワークショップ(今年はオンライン)をやりました。一番大きな目標はこのプロジェクトを通してNUSのサイトに数百のインタビューを含むオーラルヒストリーのアーカイブを作ることです。

私の場合、授業をしないて研究に集中できる年ではあったのですが、オンラインアーカイブの方はやはり新型コロナウィルス、人々の認識の変化、防疫体制などによってかなり影響を受けました。ロックダウンや「社会的距離を保つ」で、インタビューを行うのがきびしくなりました。私もこれが起きなければ100件、200件くらいインタビューを取れたし、文献調査ももう少しできたかなーと思います。30件取れたのはこの状況下ではラッキーだったくらいでしょう。協力してくださっている他の研究者たちもかなり影響を受けたそうです。

もうひとつは、「Cold War Crucible」という本をハーバード大学出版から出している益田肇先生が編集する編著を出版することです。肇先生は、ウィルソンセンターのフェローになった合計たった6人の日本人のひとりです。私が学生だったころ、益田肇は若手のホープで、私のアイドルのひとりだったので、今彼のところでお仕事ができてとても光栄です。編著の方はなんだかんだそれなりにチャプター草案が集まってきているのであんまり心配していません。

私自身も東南アジア史の単著を準備しているのですが、そちらも関心を持ってくれる出版社が複数あって、今はひとつにしぼって原稿書き直してます。これはよかったことですね。ちなみに、ジャーナル論文の方は全部延期です。

コロナ関連の変化が起きて、歴史家として勉強になったことは、凄まじいスピードで人々の認識や行動様式が変化するプロセスをまざまざと見せつけられて、「こうやって短期的な変化や、長期的に影響が有るけど気づかれない変化が起きるんだなー」と思ったことです。今では「冷戦」は、ひとつの時代区分として受け入れられてしまっているんですが、この「世界的な冷戦が起きている」という認識自体、朝鮮戦争を決起として社会的に作られたものだったのです。「ニューノーマル」「コロナ以後」などの言葉が流行り始めたとき、私は「冷戦もこうやって作られたのか!」とある意味感慨を覚えました。この「コロナ世界」の構築を記録しようとしたのが、京都大学からリクエストされて書いた以下の記事です。

↑転載したのでノートで読む方はこちら。

この「ミンダナオにおけるコロナへの草の根の反応」は、歴史家である私が現在進行の歴史過程についてフィリピン史の知識と現在の体験を動員して書いた記事で、個人的にはけっこう気に入ってます。少しはマルクスの「ブリュメール18日」を念頭に置いて書きました。(そこまでの大作にはできてませんけどねw)


ミンダナオと家族

一冊目の本の原稿で国連勤務時代に関わったティモール島の長期的な歴史について書いているので、2冊目は観念史、ポストコロニアリズム、冷戦研究、アジア史などを組み合わせて、複数の場所の比較歴史研究をやってみたいと考えています。(まだ漠然とし過ぎてる感じがしますね。)

既に日本、ティモール、シンガポールでの生活経験があるので、今年はミンダナオに住んでみたのは研究者としても、ミンダナオ人の家族を持ってる人としてもよかったです。防疫体制のおかげで家族と過ごす時間は増えたので、ミンダナオの人々の日常生活や世界観にふれる機会がたくさんありました。うちの息子は、英語とミンダナオ方言のビサヤ語を話す少年になりました。

主に東京の内陸側で育ったので、平地民・都会人の生活には前から馴染みがあります。今回はミンダナオで、沿岸部の人たちの生活を知ることができました。世界観が全然違います。海ってすごく身近なんですね。半世紀前に採取された伝承では、「まだスペイン人たちが私達の海に来る前のことだ」という文が出てきます。「私たちの土地」や「私達の国」じゃなくて、「私達の海」なんですね。北部ミンダナオでは、ミンダナオ南部やスールーに加えて、セブなどのビサヤ諸島も含めて「私達の海」なんです。これがわかったときは感動しました。

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その間、ちょっと思春期の上の子とはキャッチボールしたり、下の子とは一緒にお絵かきしたり遊んだり、お尻拭いてやったり(一応書いておくと、ミンダナオの家にはトイレットペーパーという物がありません。)大切な時間が過ごせたと思います。子どもたちも一年間ですごく成熟しました。


Note

Noteは10月の中旬くらいに始めました。実を言うと、直接の理由というか、原因は、私の親友が突然死したことです。3歳の頃から一緒に育った人が、33歳で急に亡くなったのです。自分の半分が失われたような気がしました。

「彼って無垢でいいこだったよね」「天使みたいだったよね」というふうに彼が美化されて記憶が修正されてしまう前に、私の彼に対する感情がまだナマモノのうちに彼のことを書いて、誰か知らない人が読めるようにしておきたいという気持ちが、私にはありました。彼と私の関係の背景にはいつも「母教会」の存在が有るので、教会の人たちが「無垢で敬虔なクリスチャンでした」ということで済ましてしまうだろうと思ったからです。私は、彼の人生は「日本のキリスト教」の枠を越えてもっとありふれた問題を抱えていたと考えているので、彼が生きた証を別の形で残したいと思いました。それで書いたのがこちらです。↓

「セミフィクションです」と言っておきます。基本的にはこれが書きたかっただけです。

親友のことだけ書けば第一の目標は達成したわけですが、そもそも私も日本では無名な研究者なのだから、もう少し日本の方々に知ってもらって損はないし、私も一般の人たちを知りたかったので、結局続けることにしました。

方向性としては、研究論文にはならないけれど、一過性のものではない事柄について私が調べて、考えたことをについて書くことにしています。

気に入ってる無料記事をいくつか貼っておきます。

最近は、フォローしたり、読んでくださる方々も増えてきたのでうれしいです。感謝です。

今月のダッシュボードはこんな感じです。

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思ったより読んでいただけてびっくりしてます。

来年もNote続けようと思っているので、今後もお付き合いいただければうれしいです。

では、みなさまよいお年を。





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