今月に入って拙著の東ティモール独立運動(あるいは反ポルトガル・インドネシア抵抗運動)に関する論文がJournal of Southeast Asian Studies(ケンブリッジ大学出版)から出ました。この論文で問題にしているのは、「抵抗運動がどのように解釈されるか」あるいは、「私達はいかにしてある抵抗運動について知っていることを知っているのか」というようなことです。東ティモールの抵抗運動を例にしつつ、先輩の研究者たちとほぼ同じ史料を用いたとしても、歴史家のいる環境や見方が変われば彼らの「歴史物語」とは全く異なる解釈・物語を提供することが可能だ、ということを示そうとしています。

要旨は以下のようになります。

「近年、東ティモール独立後の国内政治により、インドネシアによる東ティモールの不法占領(1975-99年)に対抗する抵抗運動内部の多様性が明らかになってきた。特に、1999年以後に帰国した政治的指導者たちと抵抗運動を東ティモールの領土内で戦ったゲリラ構成員たちの間のフレテリン(東ティモールの主要な民族主義政党・運動)の表象・歴史認識は、重要な争点となってきた。本稿では、フレテリンの政治運動に関するテトゥン語・ポルトガル語の史料を比較し、様々な運動の参加者や聴衆がどのようにフレテリン運動を解釈したかを問題とする。私の考えでは、政党としてのフレテリンは、当時国際的に承認されていた民族主義や左派的な論調によって海外の聴衆の支持を得ようとしたが、後には東ティモール域内の一般の人たちの支持を得るためにテトゥン語を主要な言語とする運動へと変化した。この「テトゥン語のフレテリン運動」は、ティモールの土着信仰、聖と俗の宇宙論や風景、東南アジア特有の社会関係を取り込むことにより、海外の聴衆や学会が理解する「政党としてのフレテリン」からは離れていった。この観点から、本稿は、東ティモール人たちの抵抗のイデオロギーと国民性の研究を通して、東南アジアの抵抗史・ナショナリズム研究に貢献する」(英語から自分で意訳)

東ティモールのポルトガル・インドネシアに対する70年代から90年代の抵抗運動に関しては、英語・ポルトガル語・日本語でだいたい100冊以上の本が出ています。ですが、ティモール人の同業者の人たちと話していてでてくる話題として、「英語とポルトガル語の史料が繰り返し引用されることにより、国際的な運動としての理解は深まったけど、抵抗運動に関するティモール人たちの理解、参加者たちの経験がどのようなものであったかの議論が深化していない」ということがあります。

私の場合、研究者になる前に東ティモールの国連ミッションで選挙関連の仕事をしていたことがあり、これが東ティモール抵抗運動の多様性(団結というよりは多様性、ということ)への関心につながっています。具体的には、国連が実施していた地方選挙を「新植民地主義だ!」と言ってボイコットしたりする人たちがいたりしたので、「自分も植民地主義者なのかなぁ」などと考え始めたのがきっかけです。

英語・ポルトガル語のフレテリン史料を読むと、私達が聞き慣れたフレーズがたくさん出てきます。たとえば、

「自由、友愛、平等」

これはフランス革命のスローガンです。

「あらゆる形式の搾取と植民地主義に反対する」

これは共産主義とナショナリズムのミックスです。

フレテリンではないグループが抵抗の主体となっていった1990年代には、民主化や人権といったテーマが頻出するようになります。

これらはこれらで東ティモールの抵抗運動の世界史的なつながりを理解する上で重要な概念やテーマです。

ですが、「彼らが普段の会話に使っているテトゥン語では抵抗運動はどのように論理付されていたのか」を考えてみないと、実際に参加した人々の認識はわからない、というのが私の考えです。(例えば、日本史の理解に英語文献や中国語文献ばかりつかっていたら、使用されている学術概念と人々がどのような言語認識の元で歴史過程を経験したかの乖離がわかりにくくなってしまう。)

そこで、フレテリンのポルトガル語、テトゥン語での論調や概念の違いに着目したのが今回の拙著論文です。(詳しくは現物を読んでみてください。)特にティモールの若い研究者たちから、批判的な反応が来るのを期待してます。

今回の論文で示唆しているもうひとつのことは、「抵抗の論理、形式、構造、軍事的な見方、世界観や文化などの麺で、他の東南アジアの他の抵抗運動との比較を深めていった方が、東ティモールの抵抗運動の独自性と世界史的意義の両方の理解が深まるのではないか」、ということです。私が持っている印象としては、フィリピン革命、インドネシアの社会運動、ベトナムやカンボジアの抵抗運動と比較してみると、信仰面、軍事作戦面、論理において、東ティモールのインドネシアに対する抵抗運動は類似点が非常に多い。こちらの方面に研究が進むと、参加者たちの経験がより深く理解できるようになるのではないか、と期待しています。

かじるとすれば、だいたいこんなところでしょうか。

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