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文章書いてワンダーランドへ(3)

2.小林秀雄の言葉の電圧(2)

この小林秀雄も、そして現代作家の筆頭ともいえる村上春樹も「書く」理由
に関して同じようなことを述べています。

「書いていくことと考えることがいっしょなんですよ。ぼくなんか書かなく
ちゃ絶対にわからない。考えられもしない」
(小林秀雄『読書について』中央公論新社 157頁)

「自分のために書くだけです。僕は自分が何者か、何を考えているのか、書かないとわからないんですよ。賢い人は書かなくてもわかるのでしょうけれど。
そう、書く目的なんてない。何を書きたいかに僕は集中する。僕は脳みそで
考えるのではなく、指で考えるんです。ホロヴィッツがピアノに向かうよう
に僕はマッキントッシュのキーボードに向かう。」
(村上春樹の作家作法 (プレジデントHP aiaiときどきブログ(第21回)

これは言い換えるなら、自分という存在の中の「何か」を明らかにするため
に書いているという表明です。

物書きとしての仕事として書く、支持してくれている読者のために書く
というのは言わば「外面的理由」で、「書く」動機の最大のものがこの「自
分の中の何か」を明らかにするために書くという点が、この近現代の物書き
の代表クラスともいえる二人に共通しているのです。

これは、言葉、文章、書く理由、というテーマを考える上でとても重要な
ポイントです。

「汝自身を知れ」というのは古来哲学の最大のテーマですが、どうやら「書く」ことはこのテーマを探求していく上で最も有力なメソッドのようです。

さて、話を小林秀雄のヴァイオリン体験に戻します。

メニューインのヴァイオリンコンサートに足を運んだ小林が、その音色を楽しみにしながら息を凝らして待っていると、聴こえてきた音は意外に悪いものだったといいます。

どうやら当時雨続きだった東京の湿度が音色に影響していたらしいのです。

しかしながら、そこは名手メニューイン。高湿度の悪コンディションの中で
名器ストラディヴァリウスを巧みに調整しながら、徐々に場に馴れさせ、その本来の美しい音色を取り戻していきました。

その見事な推移に感銘を受けた小林秀雄は、次のような文章でそれを表現しました。

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それは恰(あたか)も嘗(かつ)て経験した事もないような湿度の中で、どう鳴り出したらいいか暗中模索しながら、次第に自得し成功していくストラディヴァリウスの息づかいのように思われ、私に非常に美しい印象を与えた。
                  (小林秀雄『ヴァイオリニスト』)
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この一文が、当時十七歳の高校生だった私に強いインパクトを与えました。

今までいろいろな本(つまり文章)を読んできたけれど、そのどれとも違うと直感しました。

何と言えばいいのか、言葉がとてもリアルな感触を伴って、こちらの感覚や細胞を直撃してくるような印象を受けたのです。

およそ美しい音楽を表現するのに不釣り合いのような「暗中模索」「自得」「成功」といった硬い漢語が使用されているのですが、その簡潔な響きがこの時の状況を的確に表現しているように感じました。

そして、「ストラディヴァリウスの息づかい」というナイーブな表現が、一転してこの一文の言わばハイライトのように光ります。

ここで用いられている文章のレトリックは擬人法です。

名器ストラディヴァリウスを意識を持った一つの生命体のように捉え、「彼女」が当初日本の強い湿度に悩まされながらも、名手メニューインの協力を得て、やがて本来の美しい音色を取り戻していく様子が簡潔に表現されています。

これを読み、私はまるで自分がこの場を体験したかのように「美しい印象」が自分の中に湧きおこるのを感じました。

それは初めての経験でした。

(続く)


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