2021_0905_本読み

9月5日(日)は、

山崎
1、『ドラッカーと論語』安冨歩 著、東洋経済新報社、
第1部ドラッカー思想の本質、第1章マネジメント〈徳治〉
企業の目的とは何なのか 旭山動物園の例
(565から748/2724)


論語の引用は以下でした(論語がこういう構成になってる、っていうのも初めて知りましたし、各項目の呼び名を知るだけでも、結構「知った感」があります。)

・學而第一、8、過則勿憚勿
過ちては則ち改むるこに憚ること勿れ。
・子張第十九、8、小人過子必文
小人の過ち必ずかざる。
・述而第七、29、仁遠我仁欲斯至
仁遠からんや。我れ仁を欲すれば斯に仁至る。
・里仁第四、16、君子喩於義小人喩於利
君子は義にさとり、小人は利にさとる。
・子罕第九、1、子罕言利與命與仁
子、まれに利を言う。命をともにし、仁をともにす。
・為政第二、1、爲政以德 譬如北辰居其所 而衆星共之
政をなすに德を以ってなす。たとえば、北辰のその所に居て、衆星のこれにむかうがごとし。

ドラッカーは経営学の人というイメージから、消費者の希望に答えるのが企業である、という誤読をしている人が多い、とのことです。
『マネジメント』ではイギリスのMS社の例、
この本では旭山動物園の例で、
企業の目的を「利益」とするとうまくいかず、
論語でいう「義」(社会的意義、我々は何をすべきかということ)によればうまくいく、という話でした。


こいでさん
2、『芸術と科学の間』福岡伸一 著、木楽舎、 Ⅶ パワーズオブテン 見えない光の記憶ありありと(鈴木理策) 被写体の秘密(杉本博) 群れとボイド(伊藤若冲、クレイグレイノルズ)

今日も、色々な「入れ替え」というのか「読み替え」というのか、そんな視点の持っていきかたがすごく面白かったです。
自然史博物館の展示剥製のジオラマを撮った、杉本博の写真「アラスカオオカミ」。生き物の一瞬を止めて捉える、そしてそのことから、生きていることが逆に炙り出されて感じられる、という写真の性質を再び逆に使った表現のことを鮮やかに書いていました。

3、『節英のすすめ』木村護郎クリストフ 著、萬書房、
2、 9.11と英語(351~408/3674)


9.11 といえば、2001年のアメリカの同時多発テロ、世界貿易センターなどの、が浮かんでくる、日本人。それはどういうことなのか、を歴史上のさまざまの国のいろんな時代の「9.11」をあげることで、その特殊な事情を浮かび上がらせていました。
日本は、アメリカの傘下に、強い影響の元にある、ということです。そして中にいる限り、それを自覚しにくいのです。



きよもとさん
4、『声で楽しむ美しい日本の詩』大岡信、谷川俊太郎  著、岩波書店


今日の登場は、眼にていふ(宮沢賢治)、二月(村山槐多)、皎皎とのぼってゆきたい(八木重吉)、なだれ(井伏鱒二)、河口(丸山薫)

最初の賢治の詩は、改行があるだけで、句読点も字間の空きもなし、1行空きなども無しでした。

どの詩にも谷川俊太郎さんの短い解説があるのですが、その一つで、音読は読み手の気持ちのままに読んでいいのです、というようなことが書いてあったように思います。

とはいえ、一字空きだったり、一行空きだったり、句点だったり。難しいです。
声に出して読む
ということを主に考えれば、
印刷されている詩は、楽譜で、
字以外のわずかな記号や空きは、非常に自由度の高い指示記号と捉えるのもいいのかも、と思いました。



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