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2022_0611_本読み

<1749字>

冒頭の写真:
つる植物には、それぞれのしつこさというか「怖い感じ」があります。
フジにしてもツタにしても。

きれいなんですけどね。

このカニクサ(またの名はツルシノブ)はシダとしては珍しいつる性。

自分同士で絡まりながら絡まった構造の強さで、いろんなところへ登っていきます。

羽状複葉の美しさに魅せられて作品にも使ってます。



6月11日(土)は以下を読みました。

『虹の解体』 リチャード・ドーキンス 著


福岡伸一 訳
早川書房
第3章 星の世界のバーコード

元素の持つ固有のスペクトル(これはその元素を燃やした時に出る光のスペクトルのことかな?)を持つ。

そこに現れるフラウンホーファー線(この章での ”バーコード” )は、特徴的な配置を持っている。

星からくる光を観測し、解析すると、その "バーコード" がわかり、しかもそれが赤い方向(つまり波長が長くなってる)にずれている、とわかる。

ドップラー効果で解釈すると、赤い方向にずれている、が意味することは、その星が遠ざかっていっているということ。すなわち、宇宙は膨張している。

という具合に、
そんなことから、こういうことがわかってしまう、
というのは驚くべきことですね。

(音読した人:山崎)





『目の見えない人は世界をどうみているのか』
伊藤 亜紗 著

光文社
第5章 ユーモア 生き抜くための武器

ここがだめだから、なんとかしよう、と思っても、
意識ではどうともならないことがほとんどです。
健常者の過剰な善意が場をぎこちないものにしたり、法律として決めごとを作ることは往々にして、為政者の都合であって、改善にならないこともずいぶんあったりするみたいです。

健常者の「バリア」を外すには、障害者と触れる場が日常にあること、

そして、たとえば、そこで障害者のユーモアを知る、ということがいいんだな、と思いました。

人間の「知恵」のようなものを感じます。

(音読した人:こいでさん)





『学問のすゝめ』 福沢諭吉 著


岩波文庫
十三編 怨望の人間に害あるを論ず

日本人の〈怨望隠伏えんぼういんぷく〉(ねたみを隠して酷い意地悪をする御殿女中を例えにだしていました)の性質の酷さは、欧亜の諸外国にはちょっと見られないようなものだ、と断じています。著者の実感なんでしょう。

山崎は、ことのところ、自分の手製本の方法を海外でもアピールしようと思って、アメリカで鍛えられた日本人の英語の先生に英語を習っています。

そうしてみてはじめて自分があまりにも「説明しないことに慣れている」ということを痛感してます。

「怨望」がある、というのは世界どこでも変わりはないが、表に現れる言葉にしない、ということが日本人の性質なのは明らかだと感じました。

それがほんと嫌だなぁと思うと同時に、とても興味深いです。

(音読した人:めいさん)





『連句  :  理解・鑑賞・実作』  五十嵐讓介 著

おうふう
第三章 

以前から、この本の「季題配置図」を時々参考にしながら、芭蕉連句集を読んでいます。決まりを知ること自体がたのしかったです。

大切にすべきは、決まりを知って従うということではなく、どのような考えからでそういう決まりができてきたのかを知り、考えることだと著者は言っていたと思います。

想像ですが、元々「諧謔」を楽しむのが「俳諧」だったと思うので、そこにちょっと別なお楽しみも加えて、あらたな芸の形を作った、という感じでしょうか。

初表六句を、静かさや抽象度の高さの中で、ゆっくりと生み出すことで、全体が下世話なおしゃべりなどのようなふうにならない「芸術としての格」みたいなものを作るんだな、というのが窺い知れました。

(音読した人:きよもとさん)





『芭蕉連句集』  中村俊定・萩原恭男 注

岩波文庫、
三三 めづらしや(曾良俳諧書留)111〜113ページ

蝸牛のから 蟻のあな おみなへし花 と 花も含めて小さい生きものが

三つ連続であらわれた、名残の折の後半でした。

オミナエシは女郎花とも書いて、和歌にもたくさん詠まれて、有名な草ですね。
実物は、花が咲いていても、背の高い雑草って感じで、
最初にこれを愛でた感覚って、蟻やカタツムリに着目するよりも、
通だな、すごいな、と感じます。

(音読した人:山崎)

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