2021_0906_本読み

9月6日(月)は、

山崎
1、『ドラッカーと論語』安冨歩 著、東洋経済新報社、
第1部ドラッカー思想の本質、第2章マーケティング〈知己〉
マーケティングは販売を不要にする マーケティングとは己を知ること
(748から842/2724)


論語の引用は
・為政第二、十七
子曰。由。誨女知之乎。知之爲知之。不知爲不知。是知也。
子曰く、ゆう、なんじにこれを知しることをおしえんか。これを知るをこれを知しるとなし、知らざるを知らずと為なす。これ知るなり。

自分の知っていることと知らないことを知る、ということが「知る」ということである、と論語は上の引用で言ってます。「マーケティング」は市場調査をして消費者の意向を知ることですが、ドラッカーの使うこのことばはそれではない、と安冨さんは言います。
上記の論語が「循環論的」に定義するように「自分を知る」ということこそがマーケティングそのものだと書いてます。

つまり、知らない他人が何を求めているのか知ろうとして、知った気になった商品を作ること

学びつづける回路が(自動的に)回るようになることが、人間が社会的に「生きている」状態になるということだな、理路をうまく説明できないけど、そう思いました。


こいでさん
2、『芸術と科学の間』福岡伸一 著、木楽舎、 Ⅶ パワーズオブテン 離れた二点の識別にも限界(ランドルト環) 世界の階層構造10の累乗でしめす(イームズのイスとオットマン) 一回限りの運動が生む美(ポロックのアクションペイント) うたかた表現する光の粒(千住博の滝の蛍光作品)
 

章題の、パワーズオブテン、はイームズの映画。
イスの形の滑らかな連続性と、映画で描かれている階層性(YouTubeで見れるのを確認しましたが、まだ見てません)を対比させて、一人の人から別のタイプの表現が現れれていることに福岡さんは面白みを感じているようでした。
山崎は、メディア(映画というやり方)というか素材(イスを作ってる金属の骨組みや革張りなどなど)というか、何と組むかで、その人の個性のどこが現れるか変わる、と思います。


3、『節英のすすめ』木村護郎クリストフ 著、萬書房、
2、 国際的な連帯感の断絶(408~437/3674)


金子みすずの有名な詩には、
「人々は大漁でお祭り」
「イワシたちは虐殺でお弔い」
という両側の視点があります。

人間の戦争を例えると、
攻撃される側(イワシの立場)なら「空襲」
攻撃する側(人の立場)なら「空爆」
ということばになります。

アメリカ(や日本)は「空襲」(9.11)をされたことについては多数報道し追悼するのに比して、例えばアフガニスタンへの「空爆」による何千もの犠牲者についての報道の追悼もとても少ないです。


きよもとさん
4、『声で楽しむ美しい日本の詩』大岡信、谷川俊太郎  著、岩波書店


今回の登場は、三善達治「空のなぎさ」、小熊秀雄「志賀直哉へ」、村野四郎「槍投げで」、岡本潤「夜の機関車」、るす「高橋新吉」

小熊秀雄「志賀直哉へ」が、べらんめい調、が面白かったし、解説でこういうタイプの詩は日本では珍しいけれど、とあり、おそらくロシアなんかにはいっぱいあるだろうし、あったろうな、と、『甦るフレーブニコフ』を読んだのを思い出して、思いました。街角に詩が貼られる掲示板がある、と、それをみんなが読んでその詩人にファンになったりする、と、あったような記憶があります。そんなロシア人の「熱さ」を表現することばがあったような気がしますが、思い出せないです。

村野四郎「槍投げで」は、一体どういうシーンなのか、色々考えられるのが「現代詩」、という感じでした。
書かれていることは明快なのに、読み手が文脈をどう作るか、或いは作らないかで、いくらでも衝撃シーンが変わってしまいます。

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