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2022_0709_本読み

<1838字>

冒頭の写真:
自分のやってることの意味は、よくわかってません。
なんでこの文を書いてるのかも、例によって目的がはっきりしないです。
しかし、やったあとには、考えてはいます。

この「冒頭の写真」部分は、まあ、日記(ひとりごと的)っていうことですね。
そう理解しました(つまり、自分のウェブサイトに載せればいい、と思いました)。

本文である「本読み」も日課なんで、これも日記的ですけれど。

さて今日の写真ですが、自作の「手締めプレス」です。
手製本のプライベートレッスンしていて、これを使ったんですが、説明したいことがいっぱいあるなー、と思いました。

説明動画も作ってますが、長くていまいち。
もっと言いたいことを絞って動画作ろう、と思いました。



7月9日(土)は以下を読みました。

『虹の解体』 リチャード・ドーキンス 著

福岡伸一 訳
早川書房
第6章 夢のような空想に ひたすら心を奪われ

統計的にみても、星占いには、なんらその占断に有効性があるとは考えられない、という数値を示していました。

それはその通りでしょう。しかし人々は信じるのを止めない。
いくらドーキンスが科学的思考を用いて「論破」したとしても、そういうことは無くならないでしょう。

人間は、科学の産物ではないから、でしょうか?

(音読した人:山崎)





『暗殺の年輪』から「溟い海」 藤沢周平 著

文春文庫

英泉も登場。
田舎家で畑をしながら、女の魅力が出始めた養女と暮らしています。

英泉も含めて、これまで登場の絵描同士や先輩後輩の雰囲気に、ふと、
以前こいでさんに読んでいただいた、
野見山暁治さんの文を思い出しました。
歴史の中の浮世絵絵師ではなく、そこで生きている絵描き仲間、という風情がなまなましくて面白いです。

笹がはびこる描写をリアルに感じました。
うちの実家は「竹」ですが、土の下にどれだけ蔓延はびこっているかわかりません。

急に何かの理由で、誰も居なくなって、放置されたら、
数年で竹藪の中に没してしまうかも、と感じるときがあります。

(音読した人:こいでさん)





『連句  :  理解・鑑賞・実作』  五十嵐讓介 著

おうふう

人倫じんりん非人倫ひじんりんという、ことばの分類がとても興味深かったです。芭蕉以前から分類が決まっていて、芭蕉もこれについてはっきりした見解を作れなかったらしいことが書いてありました。

例:「ひとり」は人倫「ふたり」は非人倫に属します。

思い出したのは、ヨーロッパ言語などにある「女性型」「男性型」などの分類。わかるようでわからないので結局おぼえるしかない、というやつです。

こういう謎のゲームルールまで含みこんでるのが、伝統の芸能、という感じがあります。

きらい とか 遠輪廻とおりんねなどという禁則事項の言い回しがまた、いい響きです。

(音読した人:きよもとさん)







『学問のすゝめ』 福沢諭吉 著


岩波文庫
十五編 事物を疑いて取捨を断ずること

ルーザ(宗教改革のルター)を日本に居た人物、浄土真宗の親鸞をヨーロッパに居た人物、というように取り替えて書いた「例」でした。

例を示せばわかりやすいはず、という著者の熱い思いを感じるのですが、ちょっとくどくて、かえってわかりにくく感じるのが、上のドーキンスを読んでる時と似た気分になりました。

昨今、ヨーロッパの歴史を改めて知るにつけ、その殺し合いの凄まじさをやっぱり思いますから、福沢諭吉もそういうとこを感じていたのだろうな、と思いました。
(どちらにしても「本で読んで、その歴史を知っている」というだけの話ではあるのですが。)

(音読した人:めいさん)





『芭蕉連句集』  中村俊定・萩原恭男 注

岩波文庫、
三五 馬かりて(卯辰集)117~119ページ

〈 有明の祭の上座かたくなし  北枝〉

の、かたくなし、とはどういうこと?
と、本読み終わってから、古語辞典を引きました。

岩波の古語辞典では「かたくなし」という表記でした。
やまいだれに、うたがう、が入った字です。

ネットで検索すると、この字の略字が「痴」。
その字なら知っています。

意味も、愚か、とか、みっともない、というものでした。

それがわかっても、この句もそのまえの句との繋がりもよくわかりません。
それでもあれこれ想像するのが楽しいです。

かたくな・し の項には、『栄花日陰』『源氏空蝉』『枕六三』などと文例が載っていて、
今の山崎の、いわゆる無人島に持ってく本は「古語辞典」かもな、と思いました。

(音読した人:山崎)


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