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他の人を幸福にするものが真の幸福

2023年10月27日
 昨夜はNHK文化センターの講義(「自分を変えるアドラー心理学の実践」)。最初少し(でもなかったが)話し、その後は質疑応答。19時から始め、終わったのは21時。学校の講義と違って終わるのが遅いと文句をいう人はいない(たぶん)。今回も回を重ねるにつれ、受講者が増えたらいいのだが。
 遠くにあるものが見えなければ、そこまで歩いて行かなければならないが、今立っている場所から見えるのであれば、わざわざそこまで歩いていく必要はない。しかし、見えたらそれでいいのか。
 思想も理解したら、それで終わりということにはならない。例えば、幸福とは何かということについて、理論はわかったとしても、実際に幸福に生きられないのであれば意味がない。
 三木清の次の言葉は先にも引いた。外に現れ他の人を幸福にするものが真の幸福だという。
「機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと、等々、幸福はつねに外に現れる。歌わぬ詩人というものは真の詩人でない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう。幸福は表現的なものである。鳥の歌うが如く自ずから外に現れて他の人を幸福にするものが真の幸福である」(『人生論ノート』)
 幸福とは何かを理解するだけでなく、実践しなければならない。「機嫌がよいこと、丁寧なこと、親切なこと、寛大なこと」を例にあげている。
 まず、機嫌がよいこと。気分が安定している人はまわりの人が気を遣わなくていいのでありがたい。そのような人を見れば、まわりの人も嬉しくなる。朝から怖い顔をし、不機嫌な人がいるが、そのような人は自分でその日をつまらなくしているように見える。
 次に、丁寧なことというのは、何かお願いをされたら忙しいからとおざなりな対応しないということである。丁寧な対応されると、自分が大切にされていると思え、嬉しくなるだろう。
 さらに、親切なことというのは、他の人が援助を求めてくれば、可能な限り援助するということである。
 最後の、寛大なことというのは、他の人の考えが自分の考えとは違っていても理解する、少なくとも理解しようとするということである。相手も考えを理解しようとせず、自分と違う考えの人を認めようとしない、さらに、自分の考えが正しいことを証明しようとするとたちまちぶつかる。理解することは賛成することとは違うので、理解しても賛成できないことはあるが、理解する努力をしなければ関係はよくならない。
 このように具体的に他者との関係の中で何をすればいいか三木がいっているので、できるところから実践したい。最初からすぐに何もかも完全にできないとしても。


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