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その時々できることをする

2023年10月14日
 森有正がやり切れない時に書くノートはフランスにきてから二十冊近くになると書いている(1952年12月〕。森がフランスに留学したのは1950年だから、二年ほどの間のことである。もちろん、このノートにばかり書いていたのではない。論文も書き翻訳もしていた。手紙も書いていた。
「手紙ばかり書いて、三週間をすごしてしまった」(1959年9月28日)
 森にも辻邦生と同様、片時も文字を書いていないと生きていけない人だったのだろう。
「そういうノートはあとになってみると何の意味もないことしか書いていないのが常である」(『砂漠に向かって』)
 意味のあることしか書いてないノートはつまらないだろう。頭に思い浮かぶことも多くは意味がないことだ。だからといって、考えるのをよそうとは思わないだろう。
 辻邦生はたくさん締切のある原稿を書いていた。そのために辻が健康を害することを妻は恐れていたが、「半ば諦め、覚悟を決めた」(辻佐保子『辻邦生のために』)。
「その時々、出来ることをしておかなければ、二度と同じチャンスは巡ってこない」という信念を持った人を止めることは出来ない。
 これは病気で倒れて以来私もずっと考えていることである。
 森は一九五二年に東京大学を辞めた。パリに留まり、デカルトやパスカルの研究を続けることにしたのである。
 三木清が、エクセントリシティ(eccentricity)という言葉を使っている。これは「常軌を逸していること」というようなネガティブな意味で使われるが、三木はこれを「離心性」と訳している。「離心」は「中<心>から<離>れる」という意味である。
 常識的な価値観から離れて、皆と違う人生を生きるには勇気がいる。エクセントリックな人生を生きようとしたら周りの人は止めるだろう。三木はこうもいっている。
「エクセントリックになり得ることが人間の特徴であり、それ故にこそ古来あのようにしばしば中庸ということ、ほどほどにということが日常性の道徳として力説されなければならなかったのである」(「シェストフ的不安について」)
 中庸に、ほどほどに生きよという周りの人の声に耳を傾けてばかりいたら自分の人生を生きることはできない。
 昨日言及した本は十二月に刊行予定。今月末にできるもう一冊の本は二月か三月に出る。こちらは自分のことを語りすぎたかもしれない。

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