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第五話へ


天空のブラックドラゴン

結局のところ損害は金銭的な価値に換算される→3000円

 山本からの手紙が届いた翌日、私は会社を休み、盗難届を提出するために地元の警察署へ赴いた。手紙の中で山本は、私から奪った水彩画を「とんでもない値で売った」と書いていたが、私は自分が描いた絵の金銭的な価値など考えたこともない。素人の趣味の産物に過ぎないのだから警察も同じ考え方をするはずだ。
 結局のところ盗難による損害イコール損害金額である。それに山本は中学生時代からの数少ない友人だ。おまえが憎いとまで表明されたのに私の中でまだ遠慮があったのだと思う。だから警察沙汰にするのは消極的だったのだが、妻は私とは違う考えを持っていた。
「盗難にあったという公式な記録を残すのよ。それが重要なの。あとでわかるわ。きっとね」 
 きっとね、と繰り返す彼女の確信に満ちた目に、そうかもしれないと思い直した。盗難届の提出にあたり、山本からの手紙および妻から渡された水彩画データをプリントアウトしたもの、そして妻がインターネットにアップした記録も参考として提出した。案の定、盗難による損害金額を聴取されたので、クレヨン画を入れておいた額縁代金の三千円と申告した。担当の警官の表情は読めなったが、もしも私がその警官だったら、なんだ大した損害じゃないよな、と拍子抜けしたはすだ。
 手続きを済ませ、警察署をあとにした。捜査してもらえるかなんて、余計なことは聞かなかった。
 私はその足で弁護士事務所へ向かった。三十分間の無料法律相談をしたいと、あらかじめ電話予約しておいたので話は早い。
 対応してくれた若い弁護士にも警察とおおむね同じ内容を話した。
「損害金額はどれほどでしょうか」と聞かれたので「三千円ぐらいですね」と答えたら弁護士は難しい顔になった。そして結局のところ損害は金銭的なもに換算せざるを得ないので、訴訟費用を考えたら云々と、いわば弁護士的テンプレートを並べ立てる。
 しかしそれはすでに了解ずみだ。聞くまでもない。だから私はおだやかに遮り、ところでこの相談記録は残るのかと尋ねた。すると、
「たとえ無料相談であっても、あとあと正式なご依頼をお受けするかもしれないので記録は残します」
 明確な答えが返ってきた。満足した私は弁護士に礼を言い、そのこじんまりした法律事務所を辞した。時計を見たらちょうど三十分経っていた。
 弁護士に相談することは妻には言っていない。私なりに考えて、妻の意見にプラスアルファを加味したまでだ

苦悩

 十月も中旬になると、空と風に秋を感じるようになった。空気感が違う。

 天高くドラゴンがゆく秋かな。

 "彼"は健在だ。週末には"彼"を描き、完成した作品には妻からの勧めもあり、サインを入れることにした。展覧会やコンテストにもやはり妻の勧めで積極的にエントリーした。参加者名簿に山本の名がないかと探してみたが見つからなかった。
 そんなある日、社の人事部から呼び出しがあった。用件は見当がつく。だから、以前に部長から仄めかされたとおりの内容を提示されても驚かずに済んだ。驚かなかったが、これでリストラ対象であることが確定したのだから落胆せずにはいられない。
 関連子会社へ移るか?それとも訳のわからない能力開発部とやらに行くか?どちらを選択してももはや私の居場所はないだろう。体裁だけは異動だが内実は厄介払いだ。辞めてくれとはっきり言わないところが嫌らしい。自主退職に追い込むつもりなのは明白だ。退職した場合、自分の年齢ですぐに転職先が見つかるとは思えない。
 "待って。もう少し待って。つらいかもしれなけど我慢してね"そう言った、あの夜の妻を、彼女の真剣な眼差しを胸に抱き、私は冷徹な人事担当へ「検討させてください」と答えた。
 日に日に秋が深まっていく。"彼"を出品したコンテストおよび展覧会は片端から大賞や優勝を総なめにした。無名の新人がと話題になりつつある。インターネット上でも"彼"は大絶賛を受けて多くの人の知るところとなった。しかし手放しで喜べない。私の心は晴れない。自分の未来の選択をどうすべきなのか"彼"に尋ねても、いつものように青い目で私を認めているだけだ。
 そして、私たち夫婦の苦悩の日々に変化がやって来た。

ファンタジー小説家

To   篠崎純也様
From   星野栞里
件名   篠崎様へ。作家の星野栞里と申します。

初めまして。
ご連絡先がわからなかったのでメールにて失礼いたします。
作家の星野栞里と申します。主にファンタジー小説を書いております。ご参考にわたくしのHPアドレス及び、作品の出版契約を結んでいる講進社のアドレスを添えておきます。よろしければご覧くださいませ。

過日、とあるサイトにて篠崎様のイラスト作品を拝見いたしました。すると急に物語が降りてきたのです。そしてその物語を一気に小説に仕上げました。篠崎様の作品にインスパイアされたファンタジー小説です。

こうして突然メールを差し上げた理由は、他でもないその小説の出版について篠崎様のご了解をいただきたいこと、篠崎様のイラスト作品のブラックドラゴンを小説の装丁と挿絵に、是非、使わせていただいと思い、不躾ながら取り急ぎご連絡差し上げた次第です。

詳しいお話しについては、担当編集者を交えて、篠崎様とお会いしてそこでご相談させてください。突然の勝手なお願いですがよろしくお願いいたします。返信いただく際はこのメールのアドレス宛てにお願いいたします。

追伸
小説のタイトルは『天空のブラックドラゴン』です。



 帰宅するなり、息を弾ませた妻から「見て!」と彼女のスマホを渡された。画面には星野栞里という作家からのメール文が表示されている。
「純ちゃんのドラゴンをアップしてあるイラストサイトのメールボックスに来ていたの」
「そうなんだ。この人は作家なんだね」
「うん。うちにもあるよ。星野先生のファンタジー。ベストセラーになっている。確か、英語に翻訳されて外国でも出版されているはず」
 妻が綺麗な装丁のハードカバーを持ってきた。私が読むのはビジネス書ばかりで、特に最近はそうだ。昔はよく小説を読んだのだが。
「純ちゃんはファンタジーなんて読まないから知らないかな」
「そうだな」
「あんなすごいドラゴンを描けるのにね。可笑しい」
 まあ、確かに。笑われても仕方がない。ファンタジーなんか読まないくせにドラゴンの絵ばかり描いているサラリーマンがこの私だ。
「星野先生からのメールは本物だよ。偽物かもと思って、純ちゃんに黙って返信して確かめたから」
「ああ。そうなんだ」
 さっきから、そうなんだとしか言っていない気がする。それ以外の言葉が見つからないからだ。
「それでどうする?先生からのお話しをどうする?」
「う、うん。ちょっと考えさせてくれ」
「うん。純ちゃんのドラゴンだからね」
「ああ」
 でもね、と妻が続ける。
「わたしは受けた方がいいと思うよ。これはチャンスだよ」
 作家からのメールの内容はプロとしての依頼だ。当然、そこには契約は発生する。うちの会社の規定を確認する必要があるが、社員の副業や兼業はおそらく認めていない。認めてはいないが、とりあえず…。
「星野先生に会ってみよう」
「うん!」私のその返事を待ち構えていたように、妻が力強くうなずいた。

 その週末、ベストセラー作家に会うために私は講進社へ向かった。どうするかは話しを聞いてから熟考すればいい。そんな心づもりだった。
 出版関係企業を訪問するのは初めてだったが、大手だけあって社屋は立派だった。広々とした一階エントランスの正面の受付で用件を告げる。ほどなく、若い男性がやってきた。まだ大学を出たばかりの青年にしか見えない。担当の佐藤と申しますと挨拶され、エレベーターに乗る。
 七階で降り、青年に続いて長い廊下を歩く。「第3会議室」のプレートのあるドアを彼が「失礼します」ノックすると「どうぞ」中から女性の声が返ってきた。
 作家に会うのは初めてだ。しかも売れっ子作家なんてなかなか会えるものではない。
「星野です。初めまして」
 立ち上がって私を迎えた女性は若く見えた。二十代後半、もしくは三十代に入ったばかりではないだろうか。ベストセラー作家という響きの先入観から、私は漠然と中年以上の人だろうと予想していたのに、見事に外れた。
 腰のあたりまである真っ直ぐな長い髪。背が高い。意志の強そうな目をしている。その目のせいで少しきつい印象を受ける。しかし微笑むとその印象が崩れた。
「今日はわざわざお越しいただいてすみません。ほら、佐藤くんったら!お客さまとわたしにコーヒーをお出しして!」
「わかりました!」
 青年が勢いよくが会議室を飛び出して行った。
「あらためて、作家の星野栞里と申します」
「篠崎です」
「どうぞお座りください。ああ、やっと会えたわ!」
「は?」
 作家は光る目で私を見つめながら、堰を切ったように喋り出した。
「ずうっと、ずうっと会いたかったんです。あのブラックドラゴンを描いた人にいつか会ってみたかったの。やっと会えました!」
「はあ」
「わたしすごく嬉しいんですよ。やっと会えたから」
「は、はあ」
 私が気圧されていると、バンっと会議室のドアが開いた。佐藤青年が戻って来たのだ。コーヒーカップがテーブルに並ぶ。
「今日はお越しいただいてありがとうございます。それで」
 口を開いた佐藤青年はすぐに作家に遮られた。
「わたしが先に話す。佐藤くんはちょっと黙ってて」
「しかし、契約の件は…」
「いいから黙っていなさい。それは後でいい」
 てきぱきと指示を下す作家から、先ほどまでの、まるで少女に戻ったようなあどけない表情が消えた。
「わたしから篠崎先生へのお願いはメールで申し上げたとおりです。先生のブラックドラゴンをわたしにください。わたしの物語を許してください」
「先生と呼ぶのはやめて欲しいのですが」
「先生のブラックドラゴンを見たその時、わたしに物語が降りて来たのです」
 私の言葉は聞こえていないようだ。熱に浮かされたように彼女は話し続ける。
「ブラックドラゴンが物語をわたしにくれた。先生のブラックドラゴンの存在が」
「いや。だから先生は…」
「だから、"彼"をわたしにください」
 その言葉が飛び出した瞬間、私の中に電流のような驚愕が走り抜けた。

 そうか。
 この人も"彼"を。"彼"の存在を知っているのか。
 私以外にも"彼"を知る人がここにいた。

「星野先生にも"彼"が見えるのですか」
「ああ、やっぱりそうなんだ。篠崎先生には見えるんですね」
「ええ。私は私が見たままの"彼"を描いているから」
「わたしには"彼"の物語が見える。いいですか。よく聞いてください。わたしがこれからお話しすることは不愉快にお思いになるかもしれない。でも最後まで聞いてください」
 彼女の話し方には引き込まれるものがあった。私は黙ってうなずいてみせる。
「わたしからのお願いはプロとしてのお願いです。ですから当然ながら正式な契約および金銭的な収入が発生します。篠崎先生はお勤めなのですよね」
「ええ。会社員です」
「そうですか」
 短い沈黙のあと、また口を開いた。
「今までは"彼"を描くことは篠崎先生にとってご趣味の延長だったかもしれない。でももはや趣味の範疇に留まれない。もはや無理です。"彼"を止めるのは不可能です」
「お話しはわかりました。考えさせていただきたい」
 その言葉どおり、落ち着いて考えたかった。彼の絵はすでに私の名前である「篠崎純也」で公開している。それは妻の提案だったが了解したのは私だ。
 もしも小説の、しかも有名な作家の作品に使われたらなら、それが私のドラゴンであることは、きっとすぐに私の会社の知るところとなるだろう。考える時間が欲しかった。しかしそんな私に彼女が光る目で畳み掛けてくる。
「わたしのその作品には、篠崎純也とお名前を出すつもりです。あなたの"彼"あってこその物語だからです」
「考えさせてください」
「わたしを虜にした責任をとってください」
「はっ?」
 驚いて息を飲んだ。
「あなたが"彼"を描いたのはなぜですか?」
「それは…私にしか見えない"彼"を、他の人にも見てもらいたい、知って欲しいから」
「だったらなおさらです。"彼"の飛翔を止めてはいけない。それにすでに矢は放たれている。あなたの手によってブラックドラゴンが現れた時から。もう後戻りはできないのですよ」
「うっ…」
「"彼"の物語をお渡しします。読んでください。読んでいただいたて、もしもNoなら遠慮なくそうおっしゃってください。没にします。もしもYesなら、一緒に"彼"を世界へ羽ばたかせましょう」
 世界へ。その台詞は確か妻が言っていた。するとまた聞いたことがある言葉が作家の口から飛び出した。
「きっと、すごいことが起きますよ。もっと、私の物語を超えて、きっと」


第七話へ続く

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♦︎ホラー専門レーベル【西骸†書房】蒼井冴夜

♦︎【愛欲†書館】貴島璃世


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