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【ハードボイルド】カレン The Ice Black Queen 第二話 with Blue in Green マイルズデイビス

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Ice Black Queen

 警察に電話をかけ、知り合いを呼んでもらう。カレンが言っていた太った警部補だ。
「よう、腕利き探偵。仕事を回してやったぞ。感謝しろよ」
「その依頼人はたった今帰ったところだ」
「もうそっちへ行ったのか。とりあえず電話してみろと言ったんだがな」
「電話はなかった。アポなしでいきなり来たらしい。待たされすぎて時間がなくなったと、用件も言わずに帰ったよ」
「変だな。美人だったろう」
 先に電話しろと言われたのに、カレンは直接事務所へ来たのか。なぜだ…。
「ところで警部。あの女が誰なのか知っているか」
「いや。初めて見る顔だが。もしも会っていたらあんな美女を忘れるわけがない。俺が知っていなくちゃマズイのか」
「チェスだよ」
「ああん?チェスがどうした。なんの関係がある」
「あんたが俺にまわしたカレンという女は、世界ランキング第二位のプロチェスプレイヤーだ。カレン・S・バラック。帰りがけに、事務所の机の上の、あんたと対戦途中のまま放置してるチェスボード見て、即座に俺の負けだと言ったよ」
 電話の向こうで、はあ?と気の抜けたような声がした。
「あの女が!?プロのプレイヤーって男だけじゃないのか。ボビー・フィッシャーとかカスパロフ、キャパブランカ、アリョーヒン、みんな男ばかりだぞ」
 警部補が挙げたのは歴代のチェスチャンピオンだ。たしかに男しかいないが。
「よく知ってるな。だがキャパブランカだって?情報が古すぎるぞ警部。チェスの国際ルールに女はトーナメントに参加できないなんて一言も書いてない。それに現世界チャンピオンは女だ」
「俺は警部じゃない。警部補だ。そりゃあ知らなかったな。いつからだ」
「確か二年前のタイトル戦で前のチャンピオンを破ってからだと思ったが」
 へえ、女がねえとかブツブツ言ってるのを無視して、聞きたかった質問を切り出した。
「それで彼女は警察でどんな話をしたんだ」
「なんだ本人から聞いたんじゃないのか」
「言っただろう。待たせすぎて帰ってしまったんだよ。今日は時間切れだがまた来ると残してね」
「そうなのか。応対したのは俺じゃなくて部下だから直接聞いた方がいいな」
 電話の向こうのダミ声が誰かを呼んだ、と思ったら、ほどなく若い声に代わった。簡単に事情を説明し、カレンが何と言ったのか聞く
「誰かに殺されるかもしれないって言ったんです。具体的に脅迫されたり暴力を振るわれたりしたのかと尋ねたところ、そんな事実はなくて、ただそういう予感がすると言うんです。誰かって心あたりはあるのかって聞いたら、そんな人はいないと。もう何だか意味が分からないでしょう」
「それでどうしたんですか」
「予感だけでは警察は動けないって言ったら、こういうことを聞いてくれる人はいないのかって言い出して」
「怒ってた?」
「全然。淡々と話すだけ」
「それから?」
「それから警部補に交代して、警察より私立探偵の方がいいんじゃないかって…」
「で、あんたを紹介したってわけさ」
 若い警官から警部補に電話が戻った。せっかく警察に電話したのに、今のところあまり情報量が増えたとは言い難かった。
「どう思う」
「分からん。分からんが嘘をついているのは分かる」
「嘘だって?カレンがか」
「俺が嘘をつくかよ。それともあんたか。冗談は置いといて、俺の経験じゃあ誰かが嘘をつくと誰かが怪我をするんだ」
「彼女の話のどこが嘘だと思う?」
「不穏なことがあって悩んでるのは事実だろう。だが誰がやってるのか心当たりはないというのは嘘だ」
「んん…」
「まあ、あとは本人にあたってみることだ。金はたんまり持ってるだろう。上等の生地で作った服を着ていたしな」
 礼を言って電話を切ろうとした俺に、気のせいかもしれないがと言ってこう付け加えた。
「あの女、あんたのことを知ってるんじゃないかな」

 電話を切り、タバコをくわえて火をつける。警官から仕入れた情報を整理してみよう。

 自分が狙われていると言っておきながら、そのような事実はなく予感がするだけと言うカレン。言ってることが矛盾だらけだ。いったいどうして欲しいのか、さっぱりわからない。
 何だかわからない不安にかられて支離滅裂なことを言ってしまうことは誰にでもある。しかしカレンという女は冷静で取り乱しているようにはまったく見えなかった。
 本人に直接聞く前にこれ以上考えても無駄なので、カレン自身について調べることにした。

 カレン・S・バラック。Sの部分のスペルはわからない。十四年前、当時の世界ランキング七位を破り、話題になった。話題になった理由はその冷たい美貌と十九歳という年齢。ということは現在は三十三歳だ。俺の予想は、かろうじて当たっていたようだ。
 歴代にはもっと年少の天才がいたから、十九歳であっても驚くほどではない。だが、その十九歳が"女"であったことが、チェス史上初の快挙だったのだ。警部補にも言ったが、歴史に残るほどのプレイヤーは、カレンが登場するまでは、皆、男ばかりだった。
 その十九歳は次々と強敵を破り、記録を更新して行った。人前で一度も笑顔を見せないこと、そして後手の黒の番になった時の恐ろしい強さから、当時の人々はカレンをこう呼んだ。
 “氷の黒女王(アイス・ブラック・クイーン)”と
 しかしカレンは急に表舞台から消えた。ある試合の最中に、黒の自分が優勢だったにも関わらず、唐突に棄権を表明し、さっさと帰ってしまったのだ。
  それ以降の成績は振るわず、トーナメントリストにその名を見ることもなくなり、次第に人々の記憶から忘れられていった。
 カレンが再び注目を浴びたのは、それからおよそ八年後のことだ。以降、今日までランキング上位をキープし続けている。そして今季のトーナメント戦の巷の予想では、現チャンピオンのナターシャを破り、自身初の王座獲得確実と噂されていた。
 あの時、カレンが棄権した理由、そしてブランクの八年間、何を思い、どう過ごしていたのか。それは誰にもわからない。カレン自身も黙して誰にも語ろうとはしなかった。
 復帰してすぐに、カレンはガルシア・マルコスという男と結婚している。情報ソースによれば、ガルシアはいくつもの飲食店を経営している実業家で、当時の新聞にも小さく取り上げられた。俺もなんとなく覚えている。しかしわずか一年で離婚。夫婦の間に子供はいないらしい。
 それからは浮いた噂もなく、独身を貫いているようだ。

 とりあえず基本的な情報は手に入れた。しかしこの程度なら誰でも調べようとすれば調べることができる。今、必要なのは裏に隠されたものだ。何もなければ命を狙われたりしない。

 さて、どうする…。カレンからの連絡を大人しく待つか。そしてどこかの誰かが彼女を殺すのを大人しく見過ごすか…。

 新しいタバコをくわえ、窓を薄く開けた。高層ビルの上のどんよりした灰色の空。まだ雨が降っている。昨日もその前も雨だった。こんなに雨ばかり続いたら気が滅入ってしまう。それに雨は苦い思い出を連れてくる。俺が助けられなかった女の思い出を。

 コートを羽織り、デスクに投げ出したあった車のキーをポケットに入れた。少し迷ってから一番上の引き出しを開ける。鈍く光る小型の銃身とカートリッジが二つ。安全装置がかかっているのを確認し、それらを上着の内ポケットに忍ばせる。電話機を留守電に切り替え、部屋に灯りを消し、ドアを開けて外に出た。カレンが待っていたソファにも廊下にも、人影はなかった。

 階段を降りたところで、傘を忘れたことに気づいた。しかし今さら引き返すのも面倒だった。コートの前をかき合わせるようにして、早足で駐車場まで歩く。
 カレンの情報を調べるのに手一杯で昼食も取っていない。どこかで適当に食べよう。これから彼女の元へ行くのだからカレンを誘ってもいい。どうせ冷たく断られるだろうが。

 愛車のドアに手をかけた瞬間、背後で気配が動いた。振り向く間も無く、脇腹を思いっきり蹴られ、激痛が走る。よろけた俺の腹にまた蹴りが入った。爪先が鳩尾を的確にえぐり、視界が赤くスパークする。息が止まった。
 地面に無様に転がった俺は、今度は両側から、脇腹と腹と腰と、集中的に腹のあたりを、容赦なく、硬い靴の先で蹴りまくられる。よく見えなかったが、襲撃者は二人、黒っぽい服の男のようだ。一言も言葉を発しない。無言で蹴り続ける。先手を打たれ、反撃することもできない。

 痛みと寒さに意識が戻った。腕の時計を見ると二時少し前だった。三十分ほど気絶していたらしい。二時が夜中の二時でなければだ。相変わらず雨が降っていたが、灰色の空は事務所を出た時と変わらないように見えたから、おそらく午後の二時なのだろう。
 起き上がろうとして、鈍い痛みに呻く。全身が痛い。骨は折れていないようだが、ひびぐらいは入ったかもしれない。こみ上げてきたものを吐いたら血が混じっていた。内臓にダメージがある証だ。
「無理に動かないほうがいいよ。おじさん」  
 若い女の声が降ってきた。ブルージーンズとカーキ色のジャンバーの女が俺を見下ろしている。
「救急車を呼んだ。病院でちゃんと診てもらいな」
 声が若い。まだティーンズだ。うろたえたり怯えている様子は微塵も感じられない。立ち去ろうとした背中に待ってくれと引き留める。「きみが助けてくれたのか」
「…」
「そうじゃなければ、俺はこんな程度では済まなかった。あれはプロだ。顔を避けたのは証拠を残したくないからだろう」
「さあね。でもあいつらには殺すつもりはなかったと思う。ただおじさんを痛めつけるだけでさ」
「きみは誰だ」
「おじさんには関係ない」
 救急車の音が近づいてきた。だが俺にはやることがある。
「俺には行くところがある。行かないと彼女が」
「その体じゃ無理だよ。それじゃあ、わたしはもう行くからね」
 それだけ言うと、謎の少女はいなくなった。

Blue in Green マイルズデイビス


第三話へ続く

♦︎前エピソード「マリアという女」

♦︎【大人Love†文庫】星野藍月

♦︎ホラー専門レーベル【西骸†書房】蒼井冴夜

♦︎【愛欲†書館】貴島璃世


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