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【ハードボイルド】カレン The Ice Black Queen 第一話 with 死刑台のエレベーター〜マイルズ・デイビス

♦︎「マリアという女」に続くハードボイルド。灰色の街に今日も雨が降る…。

♦︎関連作品

♦︎あらすじ

「殺されそうだから調査して欲しい」

俺に仕事を依頼に来た女はまるで他人事のように冷静な口調で言った。

黒の帽子に黒いサングラス…そして上等な生地の黒い服。何もかも黒づくめの女。

サングラスを取った顔はどこかで見たことがある。

「チェスをおやりになるのね」女がそう言った時、この少しも笑わない冷静な女がいったい誰なのか思い出した。名前はカレン。世界ランキング二位のプロチェスプレイヤーだった。

架空の街を舞台に繰り広げられるハードボイルドミステリ第二弾。

♦︎登場人物


主人公
私立探偵
愛車はシルバーブルーのマスタングGT

カレン・S・バラック
プロチェスプレイヤー
氷の黒女王《アイス・ブラック・クイーン》

警部補
主人公の昔馴染み

ガルシア・マルコス
実業家
カレンの元夫

フランコ・ジルベール
ロペスの右腕
美青年

ロペス・デ・ルドリーゴ
クラブ「サンタマリア」経営者

エミリ・フィッツジェラルド
"血染めのエミリ"
カレンの娘

ナターシャ・ポランスキー
チェス世界チャンピオン

ミック・エドワード
プロチェスプレイヤー
カレンに敗北したのをきっかけにストーカーと化した。

Introduction 香りの記憶

 灰色の街に、灰色の雲から静かに雨が降りてくる。心の奥まで沁み通るような冷たい雨だ。こんな日には、いつもあの女のことを思い出す。
 記憶を呼び起こすものは何だろうか。見覚えのある景色?それともかつて観た映画?
 あるいは、その人のクセや何気ない仕草かもしれない。俺の場合は雨と香水だった。
 死ななくて済んだかもしれない女をむざむざと死なせてしまった自分への戒めとして、その苦い記憶を忘れないように、女がつけていたアザロのクロームをマスタングのダッシュボードに忍ばせる。
 男のクセに感傷的(センチメンタル)な奴だと笑うがいい。泣くことだけが悲しみや悼みを表現する方法ではない。時には涙を流すより何倍も悲しみが深いこともあるのだ。

笑わない女

 ここ数日、愛車のマスタングの調子が思わしくない。アクセル操作にエンジンのレスポンスが同調していないようだ。
 最近は雨の日が多い。季節の変わり目ってやつかもしれない。この時期に調子を崩すのは人間だけではない。血が通わない機械である車も、温度や湿度の変化により調子が悪くなることもある。車とはドライバーが思っている以上に精密でデリケートな機械なのだ。
 俺自身もなんとなく体が重かった。車を停めた駐車場から事務所までの距離がいつもより長く感じる。働き過ぎかもしれない。
 会社勤めのサラリーマンと違い、俺のような個人営業の私立探偵には決まった労働時間など無い。いつも働き過ぎか、さもなくば全く仕事がないかのどちらかだ。

 重い足を引きずりながら、くたびれたビルの階段を登り二階の廊下にたどり着くと、事務所のドアの前に置いてある三人がけのソファに女が座っていた。

 襞のたっぷり取られた黒のロングスカート。艶のあるすべすべした生地の黒のジャケット。ソファの真ん中に座り、ゆったり足を組んで事務所のドアを見つめている。周りの安っぽい造作にも、座っている安物のソファにもまるで合っていない。
 その静かな堂々とした雰囲気は、まるでヨーロッパの片隅にある小さな王国の王女のようだった。と言っても、しがない私立探偵の俺にそんな王族の知り合いなどいるはずがないが。
 それに、王女であれば側近やらボディガードやらたくさんの取り巻きを従えているはずだが、辺りを見回してもそれらしい人影はなく、女はひとりのようだった。もっともお忍びで行動しているとあれば話は別だ。
「何を探していらっしゃるの」
 顔だけを動かして女が俺を見た。少しハスキーな落ち着いた声。小さな顔に大き目の濃いサングラスをかけているので年齢はよくわからなかった。女の年齢を当てるのは至難の技だが、二十代後半から三十代半ばあたりと読んだ。
「いえ、侍女やボディガードはどこにいるのかと思いまして」
「侍女?おっしゃっていることが分からないけれど、こちらの事務所の方だったら中に入れてもらえないかしら。この廊下を利用する人たちの見世物になるのは飽きたので」
 どうやら仕事の依頼のようだ。鍵を開け、どうぞと言いながら俺はドアを開けた。
 組んでいた足を降ろし、女は優雅な動作でソファから立った。高いヒールの靴を履いているせいもあるだろうが、背が高く、俺と大して変わらない。ドアに手を添えている俺の前を通って事務所の中に入る。
 体が俺をかすめた時、ほのかに香水が薫った。女ものの甘い香りではなく、もっとスパイシーな独特の香りだ。男物のコロンかもしれない。
「事務の方とかはいらっしゃらないのね」
 黒ずくめの女はサングラスを外しながら事務所の中を見回して言った。
「見てのとおり小さな事務所なので私しかおりません」
 依頼者用のソファを勧めて自分も女の正面に座る。そしてサングラスを外した素顔を初めて見た。小さく整った顔立ちは美人と言ってよいだろう。だがその表情は冷たく、一度も笑ったことがないような印象を受けた。
 ”氷の女王(アイスクイーン)“という言葉が頭に浮かんだ。と同時に、どこかで見たような気がしてきた。だが、まずは女がここへやって来た用件を確かめなければならない。
「仕事のご依頼でしょうか」
「そうです。でも四十分も待ったので今日は時間がなくなってしまったわ」
「それは申し訳ありません。あらかじめ、いらっしゃることをご連絡いただければ、お時間の無駄が省けたかと思いますが」
「そちらを責めているわけではないのです。アポイント無しで伺ったわたしに落ち度があるのですから」
 俺は女の冷静な態度に感心した。時間がないと言っておきながら慌てるそぶりも見せずに優雅にたたずむ美女。その表情に笑顔のかけらでも感じられたら、彼女にかしずく男は後を絶たないだろう。
「チェスをおやりになるのね」
 女は俺の背後にある事務机の上に視線を留めた。
「ええまあ。あまり強くはないですが…」
 そこで俺は目の前の女が誰なのか思い出した。
「あなたは、プロチェスプレイヤーの…今度、世界チャンピオンと対戦する挑戦者のカレンだ」
「よくご存知ね。光栄だわ」
 そう言いつつも、俺が彼女を知っていることに、これっぽっちも感心しているようには見えなかった。
「わたし、誰かに殺されそうなんです。それであなたに調査を依頼しようと思って」
 殺されそうとは大ごとだが、カレンはそれをまるで人ごとのようにさらっと言った。
「具体的な危険が及んでいるようなら警察に言ってください。あなたを狙っている相手からあなたを二十四時間守るボディガードのような仕事は受けていないのです」
「警察へは行ったわ。そこで太った警部補さんに話を聞いてもらったら具体性に欠けるから警察ではお役に立てないって言われて、あなたを紹介されたのよ」
 そう言いながらカレンは腕の時計を見て立ち上がった。
「あなたにお願いしたいのは身辺警護じゃなくて調査です。今日はもう時間がないのでまた来ます」
「お宅にお邪魔してお話をお聞きする方法もありますが。ご依頼を引き受けた場合はどのみちお宅にお邪魔して調査する必要があるでしょう」
「自宅に来て欲しくないの。だからこちらから出向くわ。今度はちゃんとアポイントメントを取ってね」
 きっぱりと拒絶されたが、相変わらず冷静な口調はどのような感情も感じさせない。
「分かりました。ご連絡をお待ちしています」 
 見送るためにドアまで付いていった俺に、彼女は振り返ってこういった。
「あと五手で黒の負け」
「えっ」
「あなたの机の上にある対戦中のチェスよ。白ナイトE5、同ビショップ、白クイーンD6チェック、キングD4、白クイーンE3チェックメイト。途中、黒のナイトで白クイーンの邪魔をしても三手稼げるだけ。黒のあなた、残念だったわね」
「なぜ私が黒側だと思うのです?」
「この部屋のオーナーはあなたで、普通なら来客は入り口に近い方に座る。あのチェスボードは白が入り口側で黒が部屋の奥側。当たったかしら」
「おっしゃるとおりです。鋭いですね」
「黒の敗因はキャスリングが遅かったこと。確かにもう少し勉強した方がいいわね。それじゃあ、後ほどご連絡します」
 世界ランキング第二位のチェスプレイヤーのカレンは、再びサングラスをかけて事務所から出て行った。

Ascenseur pour l'échafaud 死刑台のエレベーター マイルズ・デイビス



※のんびり更新します。

第二話へ続く

♦︎【大人Love†文庫】星野藍月

♦︎ホラー専門レーベル【西骸†書房】蒼井冴夜

♦︎【愛欲†書館】貴島璃世


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