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好きの継続には努力が要る


自分にとって大切なことは、明確にひとつあるよ。
何かものごとを決める時の指針と言ってもいいかもしれない。

それは、『自分が好きな自分でいること』。

「それってどんな自分?」って聞かれると、年齢や状況によって変化するし、”こんな自分!”っていう明確なペルソナはないから、「それでいいの?」ってくらい”自分”が緩いんだけど、自分を好きでいられるかは、私にとってすごく大切なことのひとつだし、私の土台だと思う。

私にとって、自分を好きになる基準ってすごくちっちゃなことで良くて。
例えば、食器洗いを翌日に溜め込まないとか、晴れた日に朝から布団を干したとか、バスに乗るお年寄りの手助けができたとか、落とし物拾ってあげたとか、そういう小さな、 ”こういう自分っていいな” と思えたら、それが好きの基準。そういう基準が色々できて、好きな自分が出来上がっていくの。

そしたら、そんな自分が好きだから、毎日食器洗いをして、晴れた日に朝から布団を干して、バスに乗るお年寄りの手助けをして、落とし物拾ってあげる自分になるの。

自分がいつからこういう考え方をしているのか正直よく覚えてない。
小学生低学年くらいの時は、自分のことそんなに好きじゃなかったと思うんだ。思春期に悟ったのかしら。

自分くらいは自分を好きでいようって。

大学生の時に、「自分が好きじゃない自分を誰が好きになるんだー!」と酔って友達に力説してたらしいから、その時には出来上がってたんだろうね。

らしいっていうのは、友達から聞いた話だからで、よく覚えてないんだけど、私は本当にそういうことを言いそうだし、そう思ってたし、今でもそう思ってるよ。

もし自分が嫌いな自分を好きになられたら、どういう気持ちになるのかな。
”こんな自分を好きになるなんてどうかしてる!”って自分で思うの?
それはなんだか悲しい。自分も相手も悲しい。
好きになってもらえた自分を、素直に受け入れたいな。


「じゃあ自分を嫌いにならないの?」って聞かれたら、多分嫌いにならないと思う。
特に、何か大きな決断をするときに
「その決断を後悔しないか」と「後悔してもその自分を受け入れられるか」を自問自答するの。
そして、”その決断をする自分を好きでいる”と心に決める。

その時は、”後悔しない”と強く思っても、後から「やっぱりあの時ああしてたら…」とか思っちゃう日もあるでしょ。たまに弱ったりすると。
でもね、それも織り込み済みだから自分を嫌いにならないで済むの。


自分に激甘だって? 激甘でいいんだよ。


でもね、自分が好きな自分でいるって、簡単なようでいて、
結構、自分との戦いで。
好きの基準て、どうとでも変えられるの。
だって、どこにもその基準を公表してないもの。
昨日嫌いだと思った自分を、今日好きにしちゃうこともできる。
それこそ自分のさじ加減で。

基本、めんどくさがりだからさ。一日中なんもしなかったなぁって日に、「こんな私もありじゃんね?」ってすることもあるよ、正直。

でも毎日はそうならない。それこそ

「それでいいのかー、わたしー!」
「そんな自分が本当に好きなのかー!」

って、自分と戦う。
「ダメじゃん」って思ったら、「イイじゃん」って思えるように、
好きな自分でいつづける努力はしているつもり。

「こんな私、ダメだ。ダメな私はもう何もできない・・・」っていう風には自分を甘やかさない。


それが私の好きな自分。
それが、私にとって大切なこと。



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