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「違国日記」が完結したので感想を書きたい。孤独と愛を扱った素晴らしく美しい話だった。

以前に「違国日記」という漫画について紹介のnoteを書かせていただきましたが、その「違国日記」の最終巻が発売され、先ほど読み終えたので、あふれ出る感想を書きたいと思いました。
違国日記がどんな漫画なのか知らない人は、せっかくなので以前の僕のnoteを是非読んで下さい。とても喜びます。

出来るだけネタバレのようなことには触れずに感想を書いていきたいと思います。
と、書きましたが、書いているうちに、ネタバレというか、僕がこの物語を読んでいて美しいと感じたシーンについて語らざるを得なくなったので、その点ご容赦下さい。

左:槙生 右:朝
https://ashita.biglobe.co.jp/entry/2021/10/11/110000 , 若者が若者のうちに正しく怒れるように 『違国日記』ヤマシタトモコ インタビュー

人それぞれの様々な形の孤独を取り扱った漫画だった

先ほど、風呂に入りながらこの物語を反芻していた時に、「あぁ、孤独をテーマとして、どのように孤独と接するかを描いていたのか」とふと思いました。
主人公の一人である朝(あさ)は非常に屈託のない性格で、様々な人の懐に無意識に入っていける少女として描かれていますが、数年前に両親を事故で亡くし、家族という関係性を失った孤独感を抱えて生きています。
一方、もう一人の主人公の槙生(まきお)は人と一定以上に人と関わること、関りを持ち続けることを恐れ、進んで孤独であることを選ぶ人物として描かれています。彼女は小説家であるので、自分の内面から出たものを自分で書き起こすことを生業としているため、多くは自分だけで世界が完結しているのです。
このように、朝は突如として訪れた孤独という運命が訪れ、槙生は結果として孤独である選択を行っている。そして他にも、性的マイノリティであるが故に、法的に愛する人と結婚という関係性を築けない少女たち、他者と共感することが出来ない人、親に愛されなかった人、様々な形の孤独を抱える人物たちが描かれています。

では、孤独と向き合い付き合っていくにはどうすればよいのか?
それは、他者を愛すること、そしてそれを表現し伝え、恐れずに関係性を作ることなんだと気づかされました。

人に触れられない苦しみを描いた作品「花井沢町公民館便り」

恐らく作者のヤマシタトモコは、人間は、他者と触れ合い、関わっていかなければならない生き物だととらえているのではないかと思います。
これは、別作の「花井沢町公民館便り」からも感じられることかと思います。
少し「花井沢町公民館便り」の内容に触れると、とある機械の事故で、生き物を一切通さない特殊な見えない膜で覆われ、他の町と完全に断絶されてしまった花井沢町に暮らす人々の生活を描いた作品です。
中と外は会話をし、物品のやり取りをすることは出来るのですが、生き物は一切通過することが出来ないため、膜の中と外の人は物理的に触れ合うことは出来ません。
数百年にわたって様々な人の生活が描かれるのですが、徐々に花井沢町の人口が減少し、町の最後の一人となった女性と、膜の外の男性が付き合うというエピソードがあります。その女性は、一番愛する男性と物理的に触れ合うことが出来ない事実に改めて直面し、
「きみにさわりたい きみにさわられたい」
と叫ぶとても印象的なシーンがあります。
この二人がどのような結末を迎えるのか、是非とも読んでいただきたいです。(読んだ後に考察サイトも読んで下さい。)

このように、「花井沢町公民館便り」から、作者のヤマシタトモコは人と関わること、人と愛し合うことが何よりも大事なことの一つと捉えているんだと考えられます。

朝の成長の話と、槙生の変化の話

話を「違国日記」に戻します。
僕は、この物語は朝の変化と成長の物語と思っていました。もちろん、多くの部分はそうであるのですが、物語の後半にかけて、槙生の中で「朝を愛したい、大切にしたいが、愛することが怖い」という感情が芽生えていくことが分かります。
親しい数人の友人との交友は持ちつつも、誰かと恋人関係になったり、ましてや結婚して家族となるということを避けてきた槙生。
しかし、朝と暮らしている中で、朝が徐々にかけがえのない存在になっていく。そして、朝が抱える「家族という拠り所がいない孤独」に自分が何をしてあげられるだろうと考え始めるようになる。
深い関係性になればなるほど、その人と衝突してしまうことへの恐れ、また、その人を遺して自分が死んでしまうかもしれないという恐れを覚えるようになる。そうした葛藤の中で、友人から槙生は
「愛するということ自体が恐怖に打ち克つ行為だろ たぶん」
と伝えられ、朝を愛する決意をすることが出来るように変化していることに気が付くのです。

人に対して共感をすることが出来ない弁護士の塔野と槙生との会話で非常に印象的なところがあります。

他者の感情に対して著しく鈍いことが時々どうしようもなくやりきれなく・・・ ・・・いや ・・・時々でなくもっと感じるできなんでしょうが・・・・・・
―——根本的に共感に欠ける私が他者に関わりたいと望むこと自体 とんでもなく傲慢なのでは と

・・・・・・ああ、似た恐怖を私も感じます。
でも「それでも」「それでも」「それでも」「それでも」と
そう思います。

違国日記 11巻

この物語は、槙生が朝を愛し、自分が朝の拠り所となることを決意をするところ、そしてそれを朝が数年後に振り返る場面で幕を閉じます。
僕はどちらかというと朝の属性に近い人間なので、人との関係性を築くことや、人を大事だと思うことにほぼ抵抗を感じることがありません。
なので、槙生の感情のすべてに共感することは難しいのですが、それでも、上述のような葛藤を乗り越え、結論に至った槙生の感情を尊く、美しいものと思わずにはいられませんでした。

人を愛するということ、その重要性とその難しさ

人と関係性を作り、そしてそれを維持する。距離が近ければ近いほど、分かり合えないことがあることに気づかされ、そして衝突する可能性をはらむ。
それでもなお、人は人を愛し、関係性をつないでいかなければならない。しかしそれには努力と決意を伴う。
実はこの結論は、僕が大好きでこれまで以前のnoteで紹介をしている「プラネテス」の主題として語られている事でもあります。
また、以前に読んだエーリッヒ・フロムの「愛するということ」において語られている事でもあるので、違国日記を読んだ今、再読したいと思っています。

ああ、本当に素晴らしい物語だった。
こうした素晴らしい物語や素晴らしい本があることで、自分の人生が豊かになっていく。
こんな物語を紡げる才能が存在することに感謝しつつ。

あ、そういえば槙生役 : 新垣結衣で実写化するようです。どのように描かれるか非常に楽しみですね。
https://www.fashion-press.net/news/104521
みなさんも是非、違国日記を読んでみてください。

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