見出し画像

「違国日記」多分、道徳とかの教科書にするべき漫画

さて、せっかく意気込んでnoteを始める宣言をしたわけなので、二投稿目を書きたいと思います。
僕は、自他共に認めるマンガ好きです。一時期は友達との飲み会とかの間でもLINEマンガとかを読んだりとかしていました。(たしなめられてやめました。)
noteをつけるならば、僕が好きで、周りの人にも読んでもらいたいマンガを紹介したいと思いますし、紹介します。

なぜ『違国日記』をオススメするのか、それはダイバーシティの根底に気付かせてくれるから

前回の投稿で、少しダイバーシティについて触れました。ダイバーシティにはいろいろな観点があるかと思います。男女やLGBTQ、宗教、国籍、考え方 etc. 
ただ、あくまで僕の考えになりますが、最も重要なのは「考え方、立場、快と不快の基準など、あらゆる点で、自分と他者は違う。そのことを認識したうえで接する」ということだと思っています。大抵においては「自分にとっての普通」や「自分にとっての変」を他者に押し付けていることが摩擦の原因にあり、その根本は上記の認識がないことなのだろうなと思っています。
(そう思うと、幼稚園とかで教えられる「自分がやって嫌なことを他人にしてはならない」というのはあまりよろしくないですね)
さて、なぜこんな前置きをしているのかというと、こうしたことを改めて気づかせてくれた、考えさせてくれたのが今日紹介する違国日記であるからです。

人と自分は根本的に違うことを感じている。そのことに気付かせてくれる。

違国日記は、事故で両親を亡くした女の子の「朝(あさ)」が、母の妹である小説家の「槙生(まきお)」と暮らすという話。

朝は、外交的で恋バナが好きである意味デリカシーが無い、無垢な性格をした中学3年生の女の子です。
一方、槙生は内向的で、他の人が"普通"にすること(例えば人づきあいや、家を常に整頓しておくことなど)を苦手としており、そのことを自覚した上で、自分を許容してくれる友人や職を選び、折り合いをつけています。

違国日記が"違"という漢字が当てられているのは、(僕の勝手な解釈ですが)人それぞれ違う世界(それは個人の考え方や、何に傷つき、何を大事にするのかといった価値観など)を持っていて、そのことを理解し、受け入れることが物語のベースにあるからだと考えています。

槙生が朝に語り掛けるセリフにはそのことがよく表れていて、

「あなたの感じ方はあなただけのもので誰にも責める権利はない」

違国日記 1巻

「あなたがわたしの息苦しさを理解しないのと同じように私もあなたの寂しさは理解できない それは あなたとわたしが別の人間だから」

違国日記 2巻

「あなたの感情はあなたのものでわたしはそれを変えさせることができない」

違国日記 3巻

こういった対話を、何度も何度も繰り返していくのです。

当初、自分の親が言う"ふつう"こそが普通のことであると考え、自分の言動に傷つく槙生のことが理解できなかった朝も、親友のえみりから秘密をカミングアウトされ、また、これまでの自分の言動が知らず知らずのうちにえみりを傷つけていたことを知った時に、次のように話し、謝罪します。

「えみりが何で傷つくかは えみりが決めるんだ あたしじゃなくて」

違国日記 8巻

僕はこの時に、真の意味での多様性を受け入れる感性の芽生えを見たと感じました。

この漫画を色んな人が読んだら、世界はもうちょいだけよくなりそう

僕の記憶の中の道徳の授業では、「なぜ〇〇がこんな気持ちになったのか、考えてみましょう」といったテーマが出されていたように感じます。
もちろん、そのことはとても大事ですが、その先にある
「人はそれぞれ違う。だから違うことで傷つくし、違うことを信じ、違うことで怒るのである」
ということまで踏み込むことが無いように思います。

今、世の中で起こっている分断と呼ばれる現象はこの相互の違いについての想像力の欠如が大きく起因していると感じており、そしてそれは何かをきっかけに実感しないと、永遠に身につくことのない感覚なのではないかと思います。

もっと多くの人がこの漫画に出会い、違う人のことを互いに尊重し、生きやすい世の中になることを許容できれば、今あるいくつかの分断は無くなるのでは、と思う次第です。

今一番好きな漫画の一つなのですが、その良さを十分に伝えるだけの文章力の無さが悔やまれますが、
是非、興味を持っていただけたら嬉しいです。
特設サイトもあるので、そっちを見れば絵柄や他の人物についてももっと知ることができますよ。
ヤマシタトモコは、他の作品もめっちゃいいので、どこかでnoteで書ければと。

違国日記 (FEEL COMICS swing)
ヤマシタトモコ 

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?