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【こんな映画でした】530.[処女の泉]

2022年 4月27日 (水曜) [処女の泉](1960年 JUNGFRUKALLAN THE VIRGIN SPRING スウェーデン 90分)

 イングマール・ベルイマン監督作品。英語字幕版。マックス・フォン・シドー(撮影当時41歳)が父親、その娘15歳のカーリンをビルギッタ・ペテルスン(撮影当時21歳)。これもまたモノクロ映像の美しさが際立つ。

 アイテムは、やはりまず宗教であり神である。そして無垢な少女と彼女に対する暴行殺人、父親による復讐。最後に父親が天に向かって言う「神は見ておられた。そしてallowされた」、と。単語の意味としては「~を許す、認める、与える、許可する、そのままほうっておく、見て見ぬふりをする、放置する、甘受する、やらせる、黙ってさせておく」といったことになるようだ。

 世の中というか、人生には理不尽なことが少なくないものだ。そんな時、それをどのように解釈し、納得するかということが課題となる。それを乗り越えなければ、その先の人生を生きていくことができないからだ。その腑に落ちさせるアイテムとして宗教というものがある、と言えよう。

 神であれ、仏であれ、何かを心に描き、そのことで諦めていくしか他に術はないのだ。死んだ者は、もう生き返ってこないわけだから。この映画では、鋭く神に迫るのであるが、果たしてこの父親はどこまで神を信じてのことだったのだろうか。彼らの信仰は神学的な高尚なものではなく、土俗的な庶民的なものだったのではないか。だからたいていの人たちは、神に対して疑問を持つことなく、すべて受け入れていたのであろう。この父親だけは、一瞬そうではない思考を持ち得たのであろう。娘の死を切っ掛けに。

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