【こんな映画でした】745.[民衆の敵]
2020年10月23日 (金曜) [民衆の敵](1931年 THE PUBLIC ENEMY アメリカ 82分)
ウィリアム・A・ウェルマン監督作品。アマゾンプライムで。この「PUBLIC」を「民衆」とするのが良いのかどうか、少し疑問とするところだ。さりとて「公共の敵」というのも気に食わない。具体的には「ギャングたち」を指すのだが、そう単純化していいものかどうか。
それは日本のやくざや暴力団についても言えることだ。それらは社会の有様と密接に関係しており、単独で自然発生するわけではない。そうでなければとっくに自然消滅しているはずだ。
人類の発生とともに、というのは大げさかもしれないが、人間社会が成り立った時から、そういった集団が生まれるのは必然であったわけだ。それを今になって、つまりこれまでさんざん利用しておきながら、今になって「社会の敵」として排除しようなどというのは虫が良すぎる。
善良とされる人々の、エゴでしかないとも言えようか。人間に金銭欲・名誉欲などがある限り、なくなるものではない。すなわち私たちの内部に巣くう暗黒なのであるから、なくなることはない。ただ、それを出すか出さないかだけだ。*
それにしても主演のギャング・トム役のジェームズ・キャグニーはうってつけのギャング顔(?)をしている。たまたま昨日観た[キー・ラーゴ](1948年 KEY LARGO アメリカ 101分)のエドワード・G・ロビンソン同様に、見事なギャング俳優だ。
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トムとマットの二人は小さい時からの仲良しで、それも悪さをともにする仲間であった。彼らが長じて、そのまま悪の道に入っていくということに。もちろん一旦は堅気の仕事もしていたようだが、金回りが悪かったのであろう。誘われて悪事に荷担していく。その後むしろ積極的に。
トム、トミーに関しては、その家族が描かれている。父親はすでにいない。兄マイケルは真面目な堅物として、母親は二人兄弟を溺愛しているが、トミーからしたら兄しか愛されていないと感じている。そして、ぐれていくことに。
金を儲けて母親に渡そうとする彼は健気である。それが彼なりの愛情表現である。しかし母親は兄の手前、それを受け取ろうとしない。そんな兄弟の確執がますますトミーを追い込んで、やけっぱちにしていく。
ラストはもうお定まりの、予想通りのことに。死んでもらわないと、ドラマは終わらないのだと言わんばかりに。
とまれ古い映画だ。しかしこのような問題意識はすでに持たれていたわけだ。まもなくアメリカは、1920年以来の禁酒法の時代が終わる(1933年)。彼らの資金源はこの法律のおかげであったのだろう。