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【こんな映画でした】71.[リプリー]

2022年 4月12日 (火曜) [リプリー](1999年 THE TALENTED MR.RIPLEY 140分 アメリカ)

 アンソニー・ミンゲラ監督作品。リプリーをマット・デイモン(撮影当時28歳)。ジュード・ロウ(撮影当時26歳)が金持ちの息子ディッキー。そのフィアンセであるマージをグウィネス・パルトロー(撮影当時26歳)。ケイト・ブランシェット(撮影当時29歳)は、資産家の娘メレディス役で、映画の始めの方と終わりの方で登場し、重要な役割を果たす。

 原作はパトリシア・ハイスミス。ルネ・クレマンの[太陽がいっぱい]もそうだが、どうやらミンゲラのものの方が原作に近いらしい。というか、この両者はかなり趣きの違う映画となっている。要するにクレマンのはスリリングな娯楽映画、ミンゲラのはシリアスな青春映画、といったところか。


(129分~ リプリーがピーターに)「自分でもわからない。あの地下から出られない、一生...。秘密が眠る恐ろしい場所...。僕は独りきり。真っ暗だ。僕は偽った。自分が誰か。どこにいるのか。誰も僕を見つけられない。他人になり代わりたかった、注目される誰かに。つまらない自分は嫌だ。ピーター、僕のいい所を言ってくれ。」

 リプリーは自分のことが嫌いで、理想とする人間像になり代わりたいという願望を強く持っていたようだ。人はみな、多かれ少なかれそのような面を持っている。また、良い生活・華やかな暮らしをしたいという願望も、誰でも少なからず持っている。チャンスがあれば、そのようになりたいと願うのを否定することはできない。裕福な人は、それが日常の当たり前のことなので何とも思わないだろう。貧乏人の悲しさだ。

 ピーターは、リプリーにとってほぼ唯一の理解者であったにもかかわらず殺してしまう。ここが不可解だ。二役をやっているのがメレディスにばれることを恐れたのかもしれない。しかし、いずせにせよリプリーは捕まることなくギリシャで下船し、そのまま良心の呵責を感じることなく(?)人生を歩んでいったのだろう。

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