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[エッセイ] 山手線で一番揺れる場所

 東京に初めて来たのは家族旅行でディズニーランドに来たときだ。その帰り、中学受験を控えた僕にやる気を出させるためか、東京大学にも連れて行かれた。安田講堂の前で写真を撮ろうと母に言われたが、受かってもいないのに写真を撮るのはダサいと思っていた当時の僕は「写真は受かってからでいいよ」と言って断った。その頃は自分を天才だと思っていたから、本当に自分は東大に入れると信じていた。でも、そんなことなかった。
 数年後、僕は東京大学ではない大学に入学した。大学は違ったけど、それでも「大学に合格したら一緒に記念写真を撮る」と母と約束をしていたから、渋々入学式の看板の前で家族写真を撮った。母はとても喜んでくれた。嬉しそうに講堂前で売っていた大学グッズをあれこれ買っていた母がとても恥ずかしくて、見失わない範囲内で最大限に距離を取った。いいカモじゃん。
 でも今ならわかる。きっとどの大学でも、大学じゃなくても、母のリアクションは何も変わらなかったんだと思う。長い長い思春期を終えてやっと母の気持ちが少し分かるようになってきた。写真を嫌う僕と一緒に写真を撮れる数少ない大義名分だったんだ。だから、最近は母にカメラを向けられたら、少し恥ずかしいけれど、自分の人生への感謝を込めて口角を自然に上げられるようになった。まだ何も力がないから、これが、今の僕に出来る最大限の親孝行だ。母さん、お願いだからもう少しだけ長生きしていてよ、僕が力を手に入れて、母さんが見られなかった世界を見せてあげられる日まで。

 だめだ、イヤホンから流れてくるAimerの蝶々結びの効果も相まって、山手線の中でボロボロ泣いている。ハンカチで誤魔化すにはあまりにも泣いている。東京って街に来るといつだって泣きそうになる。過去の苦労を思い出すこともあれば、こうして感謝が溢れてくることもある。分からない。周りの人が平気乗ってられる山手線の外回りで、どうして僕だけがこんなに泣いているんだろう。奮闘して成功を掴んで這い上がることの象徴として目指してきた東京に来ると、どうしても自分の背負っているものの重さに潰されそうになる。どうして人生はこんなに重たいのか。平気なのか平気なふりしているのかは知らないけれど、どうしてこの車両に乗っている他の人達はそんなに強いのか。僕だけが弱いのか。

 この26年の人生、一生懸命に生きてきた。這い上がることを考えてここまで来た。でも、残っているのは古傷だらけの心と、老いゆく親だ。とうの昔に許容量を超えているのに、今でもずっと抱えるものが増えるばかりでもういつ負けてしまってもおかしくない。でも負けたくない。人生に理不尽に頬を殴られても、血の滴る口角を上げたまま笑って反対の頬を差し出したいんだ。でも、そんな目標は自分にはあまりにも大きくて泣き出しそうになる。あまりにもしんどい。強くなりたい。自由になりたい。

「今日久々に外回りで来たけど、品川から大崎の間ってめちゃくちゃ揺れるよな。初めて東京来たとき乗り心地悪すぎてびっくりしたもん」

 渋谷の餃子屋で東京に馴染めてきたアピールになりそうな、どうでもいい話をしながらも心はずっと泣いてる。


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