[ひとりごと]読まれる可能性が上がっても良い事ばかりでないんじゃないか?
先日ビュー数が増えたり、スキが増えたりとタグの力を認識したところではありますが、読まれる可能性が上がっても良い事ばかりではないんじゃないかと思います。
私の場合、内容が伴っていない事が問題なのではないかと……文章訓練中の私の投稿する記事など何の役にもたたないでしょう。
いや、人によっては役に立つ可能性もあるので、多くの人には役に立たないという事にしときます。
一朝一夕で目覚ましい進歩など、余程の才能がないと無理でしょうから、私の記事を何度か読んで、この人の記事は別に読まなくて良いと思われる可能性が十分にあります。
別に自分の才能や努力不足を悲観しているわけではありません、見てもらう時期を早めてしまっている可能性があると思うのです。
修行中の料理人が店を持ってしまっているような感覚といえばわかるでしょうか?
見に来ている人は親、友人と言うわけではないのですから、私の成長を見守る必要も義務もありません、自分の役に立つのかどうかその一点のみで判断するでしょう、書き手である私にとっても、見る人にとっても機会の損失のような事がおきてしまっている感じがします。
先ほどの例えで言えば、十分修行をして店を出せば常連になってくれたかもしれない人を修行不足の時に会ってしまったから常連にならなかったと言った感じでしょうか?
まあそんな事を言ってしまったら人は行動が出来なくなってしまいますからしょうがない事ですし、会った時は大したことなかったが久しぶりに会えば十分実力が備わっている人になっていた何て事もあり得るかもしれませんので、私が難しく考えてしまっているだけのような気がしますね。
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