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海沿いの街めぐり・岡山は牛窓に行ってみる

結局、愛媛は単なる旅行に終わった。夏目漱石の小説で読んだ街とは違って随分栄えた都会だ。特に宿泊したホテルの周辺は夜の繁華街で柄の悪そうなムチムチストレッチパンツをはいた居丈高そうな人たちで溢れている。

それもそのはずで漱石が英語教師として松山に赴任したのは明治28年らしく、1895年、今からはるか昔のことだ。まぁ漱石は1年しか滞在していないらしいが。

ともかく、私は日本のエーゲ海と呼ばれる牛窓を目指した。

牛窓は兵庫県寄りの岡山県で瀬戸内海でも非常に日当たり良くオリーブや檸檬の生産地としても知られる。

牛窓は数年前に一度行ったことがあった。その年、岡山で異例の大雪が降った年で牛窓のオリーブ畑は雪で覆われ、オリーブの葉の隙間からきらきら美しかったが、牛窓の景色はおそらく例年のそれではなかった。

案内役を買って出てくれて私と妻に会うのを楽しみにして、めかしこんできた岡山の後輩、安某くんは凍った雪の地面に足を取られ何度も転んでいたのが印象的だった。それもそのはずで彼はその時、裏がツルツルのボーリングシューズを履いていた。

その時以来、久しぶりに訪れた牛窓の印象は、「居住区がコンパクト」だった。牛窓でも有名な一帯は、とても小さな町で昔ながらのマッチ箱のような木造の家がぎゅっと押し込まれたようなコンパクトな作りをしている。その中には移住者らしき人たちによる、小綺麗にリノベーションされた家もいくつかあった。しかしそのコンパクトさは京都のそれにも近く、当時の私たちには「せせこましい」印象を受けた。私たちが求めていたのは、京都にはない風通しや日当たりの良い空間だった。

赤穂に住む今となっては牛窓は数ヶ月に一度は出かけて散歩する街になった。牛窓は私たちが住むにはコンパクトすぎるように見えた。

転地療養には大胆さと慎重さが同時に必要だ。急ぎすぎてはいけない。

私たちは隣の家がもう少し離れた環境の土地を探すことにして牛窓を後にした。

こう書いていると楽しそうな移住先探しにうつるかもしれないが、次の日また仕事に行って安宿生活が始まるのかと思うと気が重たかったし、はやくホームレスから抜け出したかった。

続く

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