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考えすぎる、良い自分でありたい、私の話

自己紹介と過去の話

初めまして。きせきです。

簡単に自己紹介をすると、
・18歳
・静岡県出身
・考えすぎ
とまあ、こんな感じです。

そう、自己紹介に書いてもいいやと思うくらいには、自分のことを考えすぎだと思っています。

私が考えすぎる理由はおそらく、他者のためです。いや、他者にとって良い自分でいるためにたくさん考えているのだと思います。

私は小学生の頃、
いじめられ→いじめて→いじめられ→いじめて→いじめられ→いじめられ…ていました。

キツい口調になりますが、そんな小学生の頃の自分が他の何よりも嫌いです。もちろん、いじめられた自分ではなく、いじめた自分のことが。

(嫌いという言葉は自他を傷つけるので、使わないようにしています。でも、自分に関することには使うこともあります。
閲覧者の中には、ネガティブな言葉を見ると悲しい気持ちになる方もいると思います。ごめんなさい。)

なぜこんな過去が起きてしまったのか。それは、

①いじめられたことで「いじめられたくない」「好かれたい」と思うようになる
②いじめられないポジションに執着するようになる
③無意識に他者を傷つける
④他者を傷つけたことを後悔し、他者を傷つける要素を自分から取り除く
⑤他者に自分を蔑ろにされても怒らない、「誰も傷つけない良い人」になろうとする


この繰り返しなのではないかと思います。
(たった今気づきましたが、ひどい言葉を言われた後に言葉のいじめを、痛いことをさせられた後に身体のいじめをしていました。
自分がされて嫌なことは他の人も嫌なのだ、ともっと早く気づけたらよかった。)

このループが途切れたのは、中学の部活でのこと。
①の時に、活動場所から逃げ出して教室で泣いていた時、2人の部員が来てくれて寄り添ってくれたことでした。

自分がされて腹が立ったことに対して、嫌だよねと言ってくれたこと。
それは、こんな私だって蔑ろにされるのはおかしい、他者と対等な立場に居ていいんだと思わせてくれる出来事でした。その2人が、初めてできた対等な友人でした。

今の話

その後から現在までは④と⑤の繰り返しです。
⑤の性質上、長く続く「私による私へのいじめ」期間に突入したとも言えます。

対等に接することができるようになっても、蔑ろにされることはありました。
ある日、そうされて苦笑いしかできずにいると、優しい友人がその人を注意してくれました。
そこで思いました。「なんで怒らなかったのだろう」「過去の自分とは変わったはずなのに」と。

私は過去の自分が嫌いです。悪い人間*だと思います。なので、良い人間*になる努力をし、「かなり」変わりました。過去の自分と今の自分を同じ人間だと思いたくない程に。そして、今の自分「は」割と好きです。

(*人間や物事そのものに良いも悪いもない、と思っています。ですがここでは、私の感情を的確に言語化するためにこのような表現をしています。)

でもやっぱり、過去の自分も今の自分も全部ひっくるめて私なんです。その証拠として、日頃の言動の中に過去の自分の面影があります。

気をつけているつもりなのに、不当な扱いを受けても笑ってやりすごそうとしている私が居る。

他者からどう思われるのかを気にしすぎて、考えすぎるのが面倒になったから、渡された言葉をそのまま受け取るようにした。…つもりだけどやっぱり考えすぎてしまう。

そして、自分を大切にして、愛することができそうにない。自分自身が自分を大切にされるべき存在であると認めることはできなさそうだ。

良くも悪くも、過去の自分は今の自分の土台となっています。嫌いな自分に押しつぶされて、よく自己嫌悪に陥ります。そんな自分との付き合い方を模索中です。

過去の嫌いな自分を許したり忘れたりすることは絶対にしません。しようと思わないし、しようと思ったとしてもできないことなので。
繰り返しになりますが、過去は私のアイデンティティを構成している一部分なんです。

何が言いたいのかわからなくなった

ので、急に本筋に話を戻します。
何が言いたかったのかというと、
・私はざっくり言うとこんな人間
・以上が私が考えすぎる人間である理由だと思われる
・私の考え方を読んでくれている誰かに知ってほしくなった
…こんな感じです。

最後に、私が最近気づいたことを添えて終わります。

どんなに良いと言われることも、どんなに悪いと言われることも、誰かを傷つけてしまう。

私は所謂「良い人間」に見えるので、しばしば相手に「私ってダメだな」と思わせてしまいます。相手を傷つけたくなくて良い人間になろうとしているのに。その経験から得た気づきがこれです。
気づいてしまった後はしばらく絶望していました。私は何をすればいいのだろうと。

でも、これ、逆もまた然りなんです。

どんなに良いと言われることも、どんなに悪いと言われることも、誰かを救う。

私はポジティブな思考でいるのが好きで性にあっているので、後者の視点から何をするかを考えようと思います。

生きてきた中で人や環境に恵まれて幸せを知った私だからできる、誰かを幸せにするライフワークを探っていきたいです。

こんなに長い文章を読んでくださり、ありがとうございました。

以上、きせきでした。

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