写真が紡ぐ記憶 富士フイルムの『写真幸福論』と私の物語
富士フイルムが「写真幸福論」というプロジェクトをやっている。
今までFUJIFILMのカメラとはなんとなく相性が悪く、X-T2、X-T3と使ってみたけれど今ひとつ身体になじまず手放してしまった。その後、たまたまソーシャルメディア上で人気になり始めたX-100Vを手に入れる機会があり、これはちょっと持っていてもカッコいいしおもしろいカメラだぞと気に入り、遡るかたちでX70も購入した。
そのうちやっぱりさまざまなレンズでも撮ってみたくなり、X-E4を手に入れ、いくつかレンズもそろえた。小さくて軽いボディにその日の気分に合うレンズをつけて、散歩のお供に斜めがけにして歩くのはとても楽しい。
そんなわけで改めてFUJIFILMのカメラとのつきあいが始まったわけなのだけれど、ユーザーとしてメンバー登録しているとメールでさまざまな情報が届く。その中に「写真幸福論」プロジェクトのポップアップストアである「写真幸福論〜一生モノのフレーム店」を、代官山T-SITEでひらくというものがあった。
私はいわゆるユーザーコミュニティのような集まりが苦手で、こっそりひとりで楽しみたい気持ちが強いのだけれど、「わたしの写真幸福論」というロゴが気に入ったのと、もともと人の幸福という状態に興味があり、幸福学やポジティブ心理学などをある程度きちんとした形で学んだので、タイトルにも興味が湧いた。
どんなポップアップストアだろうかとクリックしてみると、メインのイベントは「大切な1枚をもとに、フレームコンシェルジュが想いをヒアリングしてピッタリのフレーミング(額装)を提案する」というものだった。
しかし私の目が釘付けになったのは次のイベントである。そこには「『写真を読む』選書イベント」とあった。大切な1枚の写真を持っていき、コンシェルジュに自分のことと写真のことを伝えると、私と大切な1枚にぴったりの1冊を提案してくれるという。実に代官山蔦屋らしい。
詳しい情報にアクセスしてみると、数名のコンシェルジュが紹介されていたけれど、その中に間室道子さんの名があった。間室さんといえば、「元祖カリスマ書店員」として知られる、代官山蔦屋書店文学担当コンシェルジュである。
選んだ写真を見せてお話しをすると、あの間室さんが直接本を選んでくださるなんて!とんでもない機会だなと身震いした。どのような文学作品を選んでくださるのだろうとすぐに申し込んだ。時間は10分間。
少し早めに会場に着くと、写真を持ち込んでフレームを選ぶ人や、クリエイターの作品を眺める人、ディスプレイされている選書を眺める人などで会場がにぎわっていた。
悩んだ末に持ち込んだのはまだ私が小さい頃の親子3人の写真。おしゃれをした父母と私が、おそらく当時住んでいたアパートの室内で写っており、後ろにはステレオやギター、クラリネットが見える。本棚には婦人雑誌がある。
この写真を選んだのは、実家で誰にも気づかれずひとりで死んでいた父親と、認知症で施設に入っている母が、この頃はおそらく幸せだっただろうと考えたからだった。私が物心ついてから諍いの絶えなかった夫婦は、今に至るまで私のどこかに影を落としている。
文学担当コンシェルジュの間室さんにそんな話をしながら写真を見せると、「実家にはたくさんのプリント写真が残されていると言ったでしょう。それは、写真を撮っていたお父さまが、たしかに家族を大切に思っていたということじゃないかしら」とおっしゃった。
そうなのかもしれない。私は、あのふたりはとにかく仲が悪かったとずっと思っていたけれど、いくら仲違いしていたように見えていても、おそらく私には永遠に父母が互いにどう思っていたか、本当のことはわからないのだろう。
そしてたしかに、我が実家には尋常じゃないほどの数のアルバムとプリント写真と、ついでに古いカメラが残されている。父親が重いカメラを手渡してくれて、家族の手ブレ写真を量産していた小中学生の頃のことを思い出した。私が今、写真を撮っているのはその頃の体験があるからだ。
そんな私に間室さんが選んでくださったのは、中島京子の『長いお別れ』。かつて中学の校長や図書館の館長もつとめた主人公が認知症になり、日々起きる不測の事態に家族とともに右往左往しながら、終末のひとつの幸福が描き出される物語だ。
調べている課程で、英語圏で「Long Goodbye(長いお別れ)」とは認知症を表現する言葉なのだということを知った。
今は、ずっと昔になくなってしまった家族の時間を追体験して、違う解釈をすることができる気がしている。間室さんにセラピーのような選書をしていただけたのも、たった1枚の写真が残っていたからだ。
これは、私と写真をめぐるひとつの物語。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?