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【短編小説】ドライフラワー⑬(第3章)

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彼女が通う高校が夏休みを迎える数日前からパタリと彼女の姿は見えなくなった。
彼女がこの工房に来て、人形を見て行ったあの日以来、私と彼女は少しずつ言葉を交わすようになっていた。
彼女の姿が見えなくなったのはその矢先の事だった。

工房の窓から臨める世界。
雲が隙間なく空を覆い、長雨が景色を滲ませる。
窓ガラスを舐めるように流れた水滴がガラス面に反射した私の頬をなぞる。

数日間続いた鬱々とした感情を抑えることが出来なくなった私は意を決して、家路を急ぐあの男に彼女の様子を尋ねた。
話してみると、彼女が惚れるこの好青年は、もし私が高校に通っていたならば同級生に相当することがわかった。

彼も詳しい事情は聞いていないが、彼女は体調が悪く学校に来ることが出来ないこと、それから大変ふさぎ込んでしまっていることなどを隠さずに語ってくれた。
男の話を聞いても私にはどうすることも出来なかった。

男に礼を述べて、私はやるせない思いに包まれた。
それでも、もう一度彼女に会いたかった。
このまま終わりにすることは出来ない、会わなければいけないと思ったのだ。

その日、雨は休みなく工房の窓を叩き続けた。

結局夏休みに入るまで彼女は一度も姿を見せなかった。

⚪︎⚪︎⚪︎
夏休みの初めに私は高校を退学した。
母は私を励ますために度々外出に誘ったが、私は毎度それを断った。
車椅子に乗っている姿を人に見られることに耐えられそうもなかったからだ。

先輩は私が退学してからも幾度か家を訪ねてきてくれたが、とても顔を合わせる気にはなれなかった。

いつの間にか、私は自室の窓から外を眺めることが日課になった。
二階の私の部屋は大通りの往来を見下ろすことが出来た。稀に通る知人の姿を認めると、私は胸が苦しくなった。
もう往来を見るのはやめよう。
もう見たくない。
そう思っても数日経てばまた窓外の景色に魅せられてしまうのだった。

今日もまたいつも通り、意味もなく窓外を眺めた。
私の部屋を見つめたまま往来に立ち尽くす一つの影。
人形工房の彼だった。
私は彼と目が合うと反射的に身を隠した。
窓枠の下で私は息を殺す。
数分の後、私は恐る恐る窓外を見た。
彼はまだそこに立っていた。
あの時と同じように頼りなげな表情を浮かべて。

どうしてそこにいるの? 
何故だかわからないけれど、彼の頼りない表情は私を安心させた。

いるはずのない人物がそこにいて、不安定な気持ちを支えてくれるような期待を抱かせるわけでもないのに。
それは身を寄せるべき大樹ではなく、親の不在を嘆き合う雛のような心境だった。
互いに支え合わねば倒れてしまうような、互いの不安定さを拠り所とした安心感。
あまりに不毛で、あまりに居心地の良い堕落……

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