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【絵から小説】ネオテニー(3386文字)

「ねえ、どうするか決めた?」
エフは地べたに足を投げ出して、後ろについた両手で体を支えている。
エフの赤茶色のローブが内側に風を含んでふわりと広がった。
「ううん、全然」
シルは膝丈より少し長い深緑色のローブの裾を指で弄びながら、眼前にぽっかりと口を開けた洞窟を体育座りの姿勢でぼんやりと眺めていた。
「全然実感湧かないよね」
「そうだね、いきなり性別を選べって言われてもね」
2人は全く我が事にならない課題を前に頭を抱えていた。

人類が立ち入らない未開の土地。
外見上、ほとんど人類と大差ない生物たちがひっそりと暮らしていた。
人類とは2万年以上前に進化の分岐をしたこの生物たちは誕生から約30年間性成熟しない。
人類と比較するとかなり遅いように感じるが、平均寿命が200年の彼らからすれば特段驚くような数字ではない。
ただ、その性成熟の方法に関しては非常に特殊だ。
生まれた時から性別が決まっている生物とは違い、時が来たら自ら性別を選択するのだ。
それもミミズやクマノミなどのように役割的に性別が確定するわけではなく、文字通り自身の選択によって性別を決定する。
エフとシルの2人が直面していた課題がまさに、性別選択だった。

「父さんと母さんに相談したけれど自分で決めなさいってしか言ってくれないんだよね」
そう言いながらエフは視線を空へ向ける。
鬱蒼と茂る植物の間から見える空は青く、明るかった。
「そうだよね。男になれば狩りに出るために遠くに行けるよね」
シルは言った。
「うん、でも女になれば子供を産むことができるよ」
シルの言葉にエフは唸った。
どちらかを選べと言われても、正直どう決めればいいのかわからなかった。

「じゃあさ、シルは女になってよ。それでエフは男になるから。そうすれば結婚もできるしいいんじゃない?」
「たしかにそれはいいかもね。でも結婚なんて30年は先の話だよ?そんなこと約束できるかな?」
再び2人は声を揃えて唸った。
「そうだ、町のみんなにどっちが良いか聞いて回ってみようか?」
妙案が浮かんだといった表情でエフが言う。
「うん、そうしよう」
シルも同調した。

2人は町へ向かい、知り合いに会うたびに男女どちらを選ぶのがいいか聞いて回った。
エフが知り合いに声をかけて、シルはメモを取りながらその後ろに付いていった。

「やあ、シル。どうしたんだい?」
料理番をしていたスーが声を掛けて来た。
スーの足元では狩りに出た男が捕らえてきたイノシシが火にかけられている。
「こんにちは。スー。男になるか女になるか選べなくてみんなに聞いているんだよ」
「ああ、もうそんな年になるのか。たしかに難しい問題だな」
「そうでしょ?スーはどうして男になったの?」
「俺はその年に一緒に儀式を受ける友達がみんな女を選ぶっていうから、逆に男になろうかなって。俺ってひねくれものだからな」
「へえ、そういうもんなんだね。じゃあさ、もう一度選ぶなら男と女どっちになりたい?」
横で話を聞いていたエフがスーに尋ねる。
「んー、そりゃあ、女かな」
少し考えてからスーは答えた。
「やっぱり。シル、ちょっとメモ見せて」
エフの言葉に従ってシルはメモを渡した。
「ほとんどみんな、今の性別と反対の性別を言ってるんだよ。つまりどっちを選んだって納得できない可能性が高いんじゃないかな?」
「そりゃ仕方ないかもしれないな。みんな自分の持っていないものに憧れるだろう?誰もが満足のいく生き方をしてるわけじゃないってことだ」
「なるほどね。たしかにそうかも」
スーの言葉にエフは少し納得した様子だった。
2人はスーに礼を言ってその場をあとにした。

「なんか結局どっちがいいかはわからなかったね」
洞窟の横にある大岩に座ってエフが言った。
「そうだね、きっとどちらが良いってものでもないもんね」
シルも応じる。
「でも、どっち選んでも変わらないならエフは男になることに決めたよ。狩りに行ってこの町から出るのは楽しそうだし」
「そうだね、シルも男になろうかな……」
「日が陰ってきたね、そろそろ帰ろうか?」
エフが空を見上げて言う。
「うん、エフ先に帰っててよ。シルはもう少しここで考えたいんだ」
「そう、じゃあ先に帰るね」
エフは手を振って、足取り軽く去っていった。

シルは1人でぼんやりと考えていた。
スーの言う通り、みんな自分にないものに憧れてしまう。
それならエフが考えたように、男を選んでも女を選んでも同じことだ。
でも本当にそうなのだろうか?
今のシルは男でも女でもない。
もしどちらかを選べば、今のシルはいなくなってしまうのではないか?
どちらも選ばなければどちらかを羨むこともなくなるし、今のシルでなくなることもない。
眼前の洞窟はシルの気持ちを飲み込むかのように真っ黒な口を開いていた。

ーーー儀式当日
エフとシルの家族、2人の友人知人、儀式の進行を管理する長老などが洞窟の前に集まっていた。
「エフ、シル、準備は良さそうじゃな」
長老が2人の前に来て声を掛ける。
ボサボサの白髪頭と腫れぼったい目が印象的な老婆だ。
2人は長老の言葉に頷く。
儀式の日、成人を迎える者たちは儀式を終えるまで決して口を開いてはいけない。
特殊な木の繊維を編み込んで作られたレース状のローブを纏うことも義務付けられている。
わずかに透けて見える2人の体は中性的で、まだ男女どちらにも属さないことを暗に主張していた。
「よいか、中に入って突き当りを左に行くと男、右に行くと女じゃ。わかったか?」
長老が2人に言う。
2人は黙って頷いた。
「ではエフから。洞窟に入って男女いずれかの道を通過するのじゃ」

エフは笑顔で手を振って洞窟へ入っていった。
エフは男になると決めていた様子だが、シルはまだ迷っていた。
正確にはどちらにもなりたくない、今の自分でいたいと強く感じていたからだ。

遠くで歓声が聞こえる。
エフを出口で待っていた者たちの声だった。
「ふむ、シルよおぬしの番じゃ」
長老に促され、歩を進めるものの足取りは重かった。

儀式の時以外は立ち入りを固く禁じられている洞窟。
近づいてみると闇は一層濃く、深く感じられた。
ひんやりと冷たい空気。
光が届かないのか、奥は見えない。
突き当たりに気付けるよう、手を突き出した格好でシルは進んだ。
振り返ると洞窟の入り口の光が小さく見える。

(そうです。真っ直ぐいらっしゃいなさい)
どこからともなく洞窟の中に響く声にシルは声を上げそうになった。
慌てて口を押さえて声を殺すと、辺りを見回したが視界に入るものは闇だけだった。
もはや目の前に突き出している自分の腕さえも見えなかった。
(大丈夫ですよ。あなたの進む先にちゃんと道はあります)
「だ、誰なの?」
シルはたまらず声を出した。
(説明は難しいわ。あなたたちの概念に合わせるなら精霊や神と呼ばれる存在に近いかしら)
シルはどこからか響く声の言うことに混乱した。
(私たちの感覚ではあなたたちと別のシステムの中で生きる者という表現が一番適切かしら)
「別のシステム?」
(理解はできないでしょうけど、あなたは感覚的にそれを感じ取っているわ。だから私の声が聞こえるの。男女という概念ではなく、シルとして生きたいと願う感情が芽生えていることが証拠よ。シル、恐れずに前へ進みなさい)
謎の声は不思議な安心感に満ちていて、シルは声に促されるままに進んだ。
その刹那、床が急に無くなったかのような浮遊感とともに、シルは視線の先に白い影を見た。
影なのに白いというのもおかしな話だが、シルには確かにそう感じられたのだ。
同時にシルの意識は薄れていく。
(温かい概念の海で暮らすことは確かに心地良いわ。その外に出ることが恐ろしいことも理解できる。ただ、それは通過儀礼に過ぎないの)

ーーー
2日後、シルは洞窟から遠く離れた森で発見された。
気を失ってはいたが、命に別状はなかった。
その姿は儀式前と変わらず、男でも女でもなかった。

「シル、大丈夫?」
シルの家に見舞いに来たエフだった。
「うん、平気。ありがとう。エフは男になったんだね」
「ああ、そうなんだ」
わずか2日でエフの体は男性的な逞しさを備えつつあった。
「シルは変わらないんだな」
「へへ、そうみたい。でもシルはこのままで良いんだ。シルは男でも女でもなく、シルとして生きていくの」
「へえ、なんかかっこいいなそれ」
エフは笑った。
シルも微笑み返した。
シルの視線の先で白い影がふわりと揺れた。

こちら参加させていただきました。
お題の絵を見た時に感じた印象から、そのままキャラクターを適当に動かした感じです。
想像していた文字数よりも長くなってしまっていたり、推敲もしていないので読みづらい部分もあるかも知れませんが、ご愛嬌ということで大目に見てください。

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