【短編小説】ドライフラワー⑮(第3章)
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私は笹舟に込めた願いを実現させるため、それこそ寝食を惜しんで勉強した。
彼女の苦しそうな笑顔はそれほどまでに私の心を強く揺さぶったのだ。
一緒に山の向こうへ行こう。
そう伝えてあげたかった。
ただ、今のままでは言ってあげられない。それが悔しかった。
昼夜が逆転し、曜日の感覚は麻痺した。
何日が経過したのかも、いつ最後に食事を摂ったのかもわからない。
同じ日が何度も廻っているような錯覚さえも覚える中で、私は確かに前進していた。
もう少し、あと少し……
鏡を見る。隈に囲まれた、目だけがやたらに鋭い男がそこにいた。
自分の顔にまるで見覚えがなかった。
脳裡に鮮明に浮かぶものは彼女の残された左脚だけ。
その左脚を脳内で反転する。
疲労で感覚の鈍った掌に濃密な重量を感じる。
いつの間にか閉じられていた瞳をゆっくりと開く。
私の手には確かに彼女の一部が存在した。
指先で肌触りを確かめると、宝物でも扱うように丁寧にそれを布にくるんだ。
工房の窓から見上げた月は紅く輝いていた。
⚪︎⚪︎⚪︎
真夜中、私の部屋の窓が奏でる人工的なリズム。
三ヶ月近く音沙汰のなかった彼が突然私の前に現れたのは十一月の半ばのことだった。
半袖シャツに作業用のズボンを履いた出で立ちはまるで季節感に欠けていた。
顔はやつれ、くぼんだ眼窩は三ヶ月前とは別人のようだった。
「さあ、山の向こうへ行こう」
真夜中だというのに、まるで周囲を気にしていないかのような大声で彼が通りから叫ぶ。
彼の声は初めて言葉を発したかのような、奇妙にかすれた声だった。
また、その言葉は私の耳に届いたものの、その真意が脳にまで達することはなかった。
「こんな夜中に何を言っているのよ」
私は声を抑えて彼に言う。
「大丈夫、行こう」
彼は再び、あの頼りなげな表情を見せた。
その表情だけは以前と変わらぬもので私はそれを無条件に信頼してしまっていた。
私は両親に気取られないよう、片足で慎重に通りへ出た。
通りに立った私を彼は突然抱き上げると木陰へと運んだ。
見た目よりも力強い腕だった。
「これを……」
彼の取り出したものを見て、私は大きく目を見開いた。
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