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【短編小説】ドライフラワー⑪(第3章)

●●●
何か行動を起こさなければ変化は得られない。
私は彼女に認識してもらうために、毎朝彼女の登校時間に合わせて工房の外に出た。
自分自身、気味の悪い行動だと理解しつつも他に妙案は浮かばなかった。

怪しまれないよう適当な距離を保って、私は彼女に近付く機会を窺った。
日々の積み重ねは次第に功を奏していった。
目が合えば軽い会釈を交わし、徐々にではあるが、彼女も私の存在を受け入れ始めたように思えた。
しかし、同様に彼女と以前から見かける男との関係も順調に進展しているように見えた。

登校時よりも歩調を緩め、明らかに時間を掛けて坂道を下ってゆく二人の姿が視界に入る度に、私の胸はきつく締めつけられた。
彼女の世界の中に私の居場所は極めて少ない。
せめてもう少し、あと少し……
彼女の身体に残る痣となりたかった。

そんな憤懣を抱えたまま一月以上が過ぎた。
私が彼女の変化に気が付いたのは、じき本格的な夏を迎える六月の末のことだった。

○○○
今日もまた部活に参加する気持ちにはなれなかった。
右脚に抱えた違和感のせいでしっかりとした走りが出来そうになかったから。
そして、そんなみっともない姿を先輩に見られたくなかったから。

昇降口へ向かう階段がいつもよりも長く感じられた。
私の横を駆け抜けてゆく友人にほのかな嫉妬さえ覚えた。
つい数週間前まで思い描くことが出来ていた明るい未来が、今は想像出来ない。
少し足が痛いだけで……

私はどうしようもなく弱い自分に嫌気が差した。
彼が私に声を掛けたのはそんな折だった。
「どうしたの? 元気がないね」
不意に掛けられた言葉に私は一瞬たじろいだ。

通学途中によく見かける人形工房の青年だった。
年の頃は私たちと同じか少し上程度に見えるが定かではなかった。
彼は頼りなげな表情を携えて私の方を見ていた。
「いえ、別に……」
話したこともない相手だ。まともに会話する必要もないと思った私は歩みを止めることなく男の横を通り過ぎた。

「脚が痛いの?」
背後から男の言葉が追いかけてきた。
図星を突かれた私はつい足を止めてしまった。
なるべく素振りには出さないように注意をしていたのにどうして気付かれたのだろうか。
「何故?」
私は努めて冷静に、振り返ることなく言った。
「いや、なんとなく様子がおかしいように思ったから」
男の要領を得ない答えに私は少し苛立った。
「あなたには関係ないわ」
歩き出そうとする私に男が再び言葉を投げる。
「脚が痛いことは否定しないんだね」
「そうよ。だから何?」
私は語気を強めて振り返る。
彼は相変わらず頼りなげな、捨てられた仔犬のような表情で私を見つめた。

正面から見ると彼の瞳は淡い茶色をしていることがわかった。
陽に照らされた髪も同級生の男子生徒と比較すると色素が薄いように思われた。
「走れない……走れないから落ち込んでいるんだね」
私は次の言葉を考えて、彼は私の言葉待って、場には重い沈黙が横たわった。
「休日に君が陸上のジャージを着ていたのを見たから」
男が言い訳がましく言った言葉になるほど合点がいった。
こんなに小さな町だ、どこで誰に見られていても不思議はなかった。

「そうね……そうかもしれないわ」
私は彼の推測を肯定した。
すると、彼は僅かに逡巡する様子を見せてからおずおずと切り出した。
「……人形を見ていかないかい?」

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