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【ショートショート】春を奏でる

並んで街を歩いていた彼がふと足を止める。楽器店のショーウィンドウの前、そこに展示されているアコースティックギターにどうやら心引かれているようだった。
「そんなに気になるなら見せてもらったら?」
その場に貼り付いてしまったかのように動かない彼に私は声をかける。彼はそうするね、と言って店に入り、店員さんに頼んでそのギターを手に取った。
「ああ、これはいいギターだ。春ギターだね」
そうつぶやきながらギターの指板を優しく撫でる。
「春ギター?」
彼の言葉の意味がわからず、私は疑問を投げかける。
「そう。春に切り出された木材で作られたギター。だからこれは春の音がするんだ」
「本当に?」
「本当だよ。ちょっと弾いてみようか」
軽くチューニングをすると彼は慈しむかのようにそのギターを奏で始める。

すうっ、と柔らかな風が吹いた。

そのギターが本当に春の木材で作られたのかはわからない。けれど、心地よい優しい音色を全身で受け止めながら、私は確かに春を感じていた。



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