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朽ちるとき

おそらく見捨てられたのだ、ということには薄々感づいていた。
ごそごそと周りを動き回るものたちの気配がしなくなってからずいぶん経っているからだ。

しかし長年ここで仕事を続けてきた彼には他に出来ることもない。
動くこともできず、やれることと言えばこれまで通りに自分の仕事をこなすだけだった。

仕事を?
もはやそれを有難がってくれるものもいないというのに?

仕事をこなすには定期的なケアだって必要だ。
これまではそれを欠かさずやってくれた誰かがいたものだが、それもどうやら期待できなくなったようだ。
あちこちにガタがきているのが分かるが、ケアをしてくれる様子はない。

いつの間にか彼の仕事相手は随分と小さいものになっていた。
彼らにケアの概念はないらしく、彼を利用だけはするものの、何かをしてくれることはなさそうだった。

しかしそれでも、往時の賑やかさを僅かなりとも感じさせてくれる彼らの息遣いに心癒されていたのも確かで、彼はその小さいものたちを咎める気にはなれなかった。

まだ何か出来ることがある、というのは救いだ。
それすら覚束なくなったときに、終わりが来るのだろう。

そしてそれは決して遠い先の事ではないだろうというのも予感していた。

しばらく経ったのち、彼は我が身が何かに取り囲まれているのに気がついた。囲まれている、というよりは締め付ける、といった方が正確で、決して強くはないがじわじわと彼の全身を締め上げてくる。

苦しくはなかった。

だんだんと薄れていく意識のなか、「まあ、悪くはなかったよ」と思えたのは幸せだったからだろうか。
ゆっくりと全身を締め付けてくるものにただ身を任せて、彼は静かに最後の時を待ち続けていた。


若い男女の声がする。

「ねえ、もうずいぶん歩いたけど、まだ着かないの?」
「もうすぐだよ……ああ、ここだここ」

意識の失われた彼のすぐそばまで、二人は近づいてきた。
女がつまらなそうに言う。

「何が面白いのか私にはよくわかんないけどね」

男は興奮した様子で女に反論している。

「素晴らしいじゃないか。この退廃の美が良いんだよ」
「ふーん。そんなものかしらね」

女は特に興味もないようで、しかしここまで着いてくるからにはそれなりに男の事を好いているのだろうと思われた。
男は何かに憑りつかれたように夢中でカメラのシャッターを切っている。


そこには古びた一軒の家屋が、あちこちを蔦に覆われて、朽ちていくのをただ待っているだけだった。


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