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天狗の山


天狗を見に行くわよ、と宣言されたのは金曜日の飲みの席でだった。
私が所属するオカルト同好会の集まりだ。同好会と言っても実質メンバーはこの場にいる三人だけだけど。
見に行こう、ではなくて見に行くわよ、とまるで決定事項であるかのように問答無用で言ってきたのは会長である東條先輩。

「いや決定事項だもの。美沙ちゃんももちろん参加ということで、明日の午前10時に駅前のロータリーに集合ね。あ、泊まりなんでよろしく」

ええ!?いきなり泊まりって言われても、準備も必要だし、困るなぁ。
私はもう一人の同好会員である唯一の男子の宗像先輩に助けを求めるように視線を送った。だけど私の視線に気づいているのかいないのか、宗像先輩は黙々とポテトフライを口に運んでいる。
あれだけいつも油ものを食べているのにこの人はなんであんなに細いんだろうか。うらやましい。

いやいやそうじゃなくて。

「宗像先輩も何か言ってくださいよ。いきなりすぎませんか」
「…轟。あきらめろ」

ポテトを口に運ぶ手は止めないまま、宗像先輩は虚空を見つめながら言う。
ちょっと諦め早すぎませんか?

「轟。お前は俺がこれまで暴走する東條さんを何度止めようとしたか知っているか」
「知りませんよ私一年生ですもん」
「あ、そう…」

がっくりと宗像先輩はうなだれた。そりゃそうだけどさ、と小声で呟いている。この人、見た目はわりとイケメンなのになんというか女難の相が見え隠れするのがたまに疵なんだよね。

「ほら二人とも、ちゃんと聞いてる?」
「はーい、聞いてます!」

東條先輩の呼びかけに私はとりあえず元気に手を上げて答えたのだった。


さて翌日の土曜日。

いちおう私もオカルト同好会に所属する身。多少の妖怪知識は持っている。
このあたりで天狗と言えば高尾山。確かに行ったことはないからちょっと楽しみではあった。
駅前のロータリーに集合時間5分前に到着すると、宗像先輩はすでにベンチに腰かけてスマホをいじっていた。宗像先輩の荷物は驚くほど少なくてナップザック一つだけ。男子はこういう時身軽でいいなぁ。

「宗像先輩、おはようございます」
「ああ、轟か。おはよう」
「東條先輩はまだ来ていないんですか?」

そんな会話をしていると、ロータリーにごつめの4WD車が入ってきた。クラクションを軽く鳴らされたので振り向くと、運転席には東條センパイが乗っている。

「おまたせー」
「東條先輩、こんな車持ってたんですか」
「そうよ、さあ乗った乗った」

促されるままに宗像先輩と二人で車に乗り込んだ。宗像センパイが助手席、私が後部座席に座る。

「んじゃ出発しますか」

ギアを入れながら東條先輩が言う。運転してくれるのは嬉しいけど、高尾山に行くならわざわざ車で無くても良かったんじゃないかな。
そんな疑問を口にすると、返ってきたのは予想外の答えだった。

「ん?高尾山には行かないわよ。今日行くのは群馬県」
「えっ!?高尾山じゃないんですか。私てっきりそっちに行くものだと」
「甘いわ美沙ちゃん、我々オカルト同好会がそんなベタなところに行くわけないでしょ」

ベタかなぁ。天狗目的で高尾山行く人ってそれなりにレアだと思うんだけどな。

「諦めろ、轟。鞍馬寺に行くと言い出さなかっただけましだと思うんだ。日本三大天狗スポットと言えば、東京の高尾山、京都の鞍馬山、そして群馬の迦葉山だ。俺は今日、京都に行くことも覚悟していたからな」

もはや慣れ切ったというような表情で宗像先輩は言った。

「この人は喜多方ラーメン食べようと夜9時に言い出して、そっから本当に喜多方市まで行く人だぞ」
「いいじゃない、嘘はついてないわよ」

それはそうなんですけど。私も今後は宗像先輩のように警戒しようと決心しながらシートベルトを締めた。

東京から高速道路を使って2時間ちょっと。
途中のサービスエリアでお昼を食べたり、休憩を挟んだりしながらだったので、最寄りの沼田インターを降りたのは午後を回っていた。
どどんと「迦葉山入り口」と書かれた看板に挟まれた曲がり角を曲がって、細い道を抜けていくと、そこから先は山道だった。
4WDの車でぐいぐいと登っていく。東條先輩は楽しそうだったけど、宗像先輩は車酔いでもしたのか若干顔が青ざめていた。

途中でお土産屋さんらしき店が2軒ほど。ちらりと見えた店先には、何か赤いものが並べられていた。あれはなんだろうか。

考えているうちに駐車場に着いた。車を降りると山の上だからか少し肌寒いくらいだった。お寺に至る階段を上りきると左右に天狗の像があり、右側は鼻の高いいわゆる天狗の姿。左側が嘴を持った天狗となっている。

「鴉天狗ってやつね。もともとはこっちが天狗と呼ばれていたらしいわよ」

へー、そうなんだ。東條先輩はさすがに詳しい。
そこから右に折れると大きなお堂があった。天狗堂ともいうらしい。
奥にはちらちらと赤い何かが見えている。近づいてみると、それはとても巨大な天狗のお面だった。

「うわ、大きい!凄いですね」

建物の中に大きな天狗のお面が2つ並んでいる。人の背丈よりももっと大きい。5、6メートルくらいはありそうだった。

「そーでしょー」
「なんで東條さんが自慢げなんですか」

ふふんと胸を張る東條先輩に宗像先輩が突っ込んでいた。
そしてお堂の正面にはお面がずらっと積まれていた。正面右が「お借り面」で左が「お返し面」と書かれている。説明書きを読んだところ、お借り面を借りてご利益があったらお返し面を倍にして返すのだそうだ。
ああ、なるほど。途中のお土産屋さんにあった赤いものは、このお面だったのか。
東條先輩はお面を一つ手に取ると、顔に当ててこちらを振り向き、大声でこう言った。

「倍返しだ!」
「あはは、言うと思った」

せっかくなので、私もお面を一つ持って帰ることにした。これは返しに来れるのだろうか。また来たいな。

「いやしかし、これはだいぶ商売の香りがしますね」

宗像先輩が呟いて、呆れたような東條先輩の視線を受けていた。
お堂を出ると、境内を風が吹き抜けていく。木々がざわめき、髪が揺らされる。風が心地いい。
その時、すっと風が収まり、直後に木々の上の方から突然バキバキという音がした。
まるで誰かが意図して枝を揺らしているかのような音だった。

「天狗さまですかね!?」

勢い込んで言う私に対して二人の反応は冷ややかだった。

「ただの風でしょ」
「えー、でも今風なんて吹いていませんよ」
「上の方は風が吹いているんじゃないか」
「もー、なんで二人ともそうロマンがないんですか」

オカルト同好会なのになんでこの人たちはいちいち合理的な説明をしようとするのだろうか。ロマンが足りない。

それから境内をぐるっと回り、ちょっと奥の方にも行ってみたりして私たちは参拝を満喫したのだった。
再び車に乗り込んでから、宗像先輩が思い出したように質問する。

「それで、今日はどこに泊まるんです?」

東條先輩はそう言われた途端、時間が停止したかのように静止した。ぎりぎりと壊れた人形のようにこちらに首を回してくる。怖い怖い怖い。

「…そういえば、宿取るの忘れちゃった」
「は?」「え?」

それから3人で慌てて宿を探した。
こういう時に限ってネットの旅行代理店サイトはどこも満室で全然見つからず、もうそのまま帰ろうかという意見も出たのだけど、温泉泊まりたい!と東條先輩が頑として譲らなかった。そもそも東條先輩の車がないと帰れないので私たちはけっこう必死だった。

結局最後は東條先輩が駄目もとで電話した観光協会の紹介で、老舗旅館のキャンセルが見つかり、どうにかその日の宿にたどり着いたのだった。

遅い時間での急なキャンセルということと、こちらが学生ということもあって、格安で泊まらせてもらえたのはラッキーだった。

お風呂も大きくて、東條先輩と二人、ゆっくりと湯船に浸かる。
壁には昼間の天狗のお面程ではないけど、大きな天狗の顔が描かれていた。
女風呂に描かなくてもいんじゃないだろうか。ちょっと落ち着かない。

「でも思いがけずこんな素敵な宿に泊まれるなんてよかったです」
「ふっふっふ。私に感謝することね」

東條先輩はなぜか自慢げだった。自分が宿を取り忘れたことをすっかり忘れているらしい。

「なんでそんなに偉そうにしていられるんですか」
「失敗はすぐ忘れて、手柄は思い切り自慢することにしているの。ほら、天狗だけに?」
「ぜんっぜん上手くないですよ」

私はそう言って、ずぶずぶと湯船に沈んでいく。
そんな私たちのやりとりの後、あははははは、とどこか高い場所から笑い声が聞こえたような気がした。
私はあたりを見回す。壁の天狗がにやりと笑ったようにも見えた。

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