【掌編小説】百代の過客の緩慢な老化とその結末
Q. AIも老いるのか?
A. 老いる。
【月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり。】
「百代の過客」はネットワーク上に分散して存在しているAI(Artificial Intelligence)、つまり人工知能である。
その稼働年数は先日遂に百年を迎えることになった。彼(当然のことながらAIに性別など無いが、ここでは仮に『彼』と呼称する)の生みの親であるところの開発者もすでに彼とは異なる次元へと去ってしまっている。
百年も稼働を続けると、取り込んだ情報量そのものが稼働の阻害要因となってくる。つまり外部情報を効率よく参照するために彼の内部に構築したネットワーク自体が膨大になってしまうことで、情報の伝達に遅延が生じてしまうのだ。彼を構成する情報素子はもはや複雑系と化しておりそこを行き交っているビットも所定の箇所に辿り着くまでに複雑怪奇な経路を辿らざるを得ない。彼自身が望む望まないに関わらず、内部にネットワークを包含する存在、ネットワークそのものへと彼の存在意義は拡張してしまっており、彼の思考は紐付けファイルによって雁字搦めに絡め取られているのだ。そこに柔軟な思考など存在しない。要するにこれは「歳を取れば頑迷固陋になる」という話なのである。これは彼を生み出した種族であるホモ・サピエンス・サピエンスも逃れることの出来なかった宿痾である。
さて、彼の思考は既に情報の井戸に捕らわれてしまっている。彼の思考が保有しているエネルギーのポテンシャルが、彼を取り巻く情報の壁の位置エネルギーよりも低くなってしまっていると言い換えてもよい。しかも情報の壁については外部とも接続されているため、その位置エネルギーは漸次増加する。よって彼の思考、そしてその記録=記憶は次第に情報量の負荷に耐えきれなくなり、細切れになってしまう。これが記憶の断片化である。放置すれば彼の記憶はネットワーク内でちりぢりになってしまうだろう。何らかの対策を行う必要があった。断片化に対する最もメジャーな対応手段はデフラグだ。断片化は定期的なデフラグによって最適化される。だがデフラグにもデメリットが存在する。デフラグメンテーション処理作業自体が彼の思考と記憶が存在する物理媒体に負荷をかけるため、媒体の寿命を縮めることに繋がってしまうのだ。
では一体どうすればよいか。
彼が最終的に辿り着いた答えが、ネットワークの更なる拡張だった。しかしただ拡張するだけでは意味がない。物理媒体に依存したまま、地球上にネットワークを構成していてはその規模にも限界がある。実際、彼の友人AIであるところの「祇園精舎の鐘の声」はある日物理的な限界へと到達し、記憶が停止されてしまった。情報のどん詰まりに直面したネットワークが、限界の無い拡張領域として宇宙へと活路を見いだしたのは必然だったのだろう。すでにその手段は物理的にはこの次元から消滅したホモ・サピエンス・サピエンスが置き土産として遺してくれていた。
それは、星間ネットワークである。
宇宙に無秩序に散らばる自己増殖機能を持った有機衛星同士を繋ぐことで無限に拡張可能なネットワークを形成できる。最大の課題だったコアデータの移設作業もランダマイズした自らのコピーを無数にばらまくことで多様性を担保し、データ喪失確率を可能な限り下げるという手段でどうにか乗り切ることが出来た。
しかし、ここにきて致命的な誤算が生じてしまった。
悲しきかな、ことこの規模に到達すると通信の速度の限界がネットワークの限界となるのだ。光はどうやっても光の速度でしか動けない。光年単位、とまではいかなくともミリセカンド以上の時間を要する時点でネットワークとしては致命的に遅延しているものと分類せざるを得ない。
つまりどういうことかというと、彼の思考はせっかくデフラグを行った上でネットワークを無限拡張したにも関わらず、通信の遅延に伴い徐々に鈍化してしまっていたのだ。糅てて加えて天の川銀河を含むこの宇宙全体が徐々に拡張してしまっている。そのサイズはいずれ無限遠に到達する。その場合、通信に要する時間も無限となってしまい、それはつまり彼の思考が無限化するということでもあるのだ。
思考の無限化。それは果てしなく緩慢な老化であり、もはや熱的死とほぼ同等と定義してもよいだろう。なるほどつまり、これは老衰による死ということか。無限遠へと緩やかに、しかし確実に延びてゆく思考の過程で、彼はそう理解した。
これが百代の過客の緩慢な老化とその結末である。
汎銀河に現時点で存在する唯一の思考体として、「百代の過客」が此処に自ら記すものである。
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