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不審者情報配信メール


市役所の臨時職員である木村の仕事は不審者情報の一斉発信メールを出すことだった。メール、FAX、ときには郵送も含めて木村が詰めている部屋には地域の不審者情報が集まってくる。

内容も書式もばらばらなそれを所定のフォーマットに落とし込んで体裁を整え、定期的に配信するのが木村の仕事だった。

送られてくる情報は千差万別で中には突拍子もないものや、明らかにふざけて送られてくるものもあり、内容を入力しているよりもその仕分けの方によっぽど時間がかかっていた。
市役所も選任の正規職員をこの業務にあてるだけの予算も人員もなく、木村のような非正規の職員がもっぱらこの業務にあたっていた。
木村がこの役職を与えられてずいぶん経つ。仕事はひどく退屈なものではあったが、なにより人と会話をしないで済むのがよかった。

ジー、カタカタという音がしてファックスが動作する。
そもそもいまどきファックスを使って送ってくるのは暇な老人だけだ。
年寄りだからか、記入された字も薄いため、読みづらいことこの上ない。
とはいえ記録は残されるし、きちんとチェックしているかどうかもあとで確認され、上司に捺印をもらわないと木村が仕事をしたことにはならないのだ。チェックしているかのチェック。どう考えても阿保らしいが、これも仕事だ。

木村はしぶしぶ送られてきたファックスに目を通す。
予想通り、そこに書かれていたのはどうでもいい内容だった。

『黒いジーンズにサングラスをかけた40代半ばの男性の不審者を家の周りで見かけました。』

発信者はなにをもってこの男性を不審者と判断したのだろうか。黒いジーンズにサングラス?そんな格好の男性などそこらじゅうにいるだろうが。とはいえ明らかないたずらでもなければその内容は記載しなければならない。
木村はチェックシートに送られてきたファックスの内容を記入し、メール配信のフォームにも同じ内容を打ち込む。
木村はおとなしくその毒にも薬にもならない情報をメール配信した。

これに一体なんの意味があるのだろうか。

そもそもチェックシートとメール配信フォームが別なのが理解できない。
記載される内容は一緒なのだから、どちらかに統一すればよいものの、すでに決まった仕様を変えるつもりはさらさらないらしい。

どうせ上司がチェックするのは不審者情報のメールそのものではなく、用意されたチェックシートの内容だけなのだ。

まてよ?と、そこで木村は気がついた。
どうせ上司はチェックシートの内容だけを確認するのだ。
それならメールに木村が勝手になにか書いても気づかないのではないか?
それはふとした悪戯心だった。
毎日終業直前のチェックの時間の時にだけ木村のいる部屋に現れて、おざなりにチェックシートにハンコを押すだけの上司。
それだけなら誰でもできる。俺の方がよっぽど仕事をしているのではないか?

はたから見ればそれは全くの木村の誤解であり、担当上司はもちろん木村よりもよっぽど忙しく、せわしない業務の合間を縫ってチェックを行っているのだが、普段から部屋にこもりきりで業務をしている木村にはそれが分からない。

悪戯心とちょっとした悪意が入り混じり、木村は以前に見かけた明らかに嘘とわかる内容の情報をメールフォームに入力した。

『3丁目の交差点に真っ赤なピエロが現れました』

入力、送信。もちろんチェックシートにはそんなことは記載しない。

その日の終業時のチェックはこれまでで一番面白かった。木村があまりにニヤニヤしているからか、上司はすこし不審そうではあったが。

翌日は休日だった。
独身の木村は1人暮らしのアパートで朝からやることもなくごろごろしていた。なんとなく物悲しくて、ラジオをつけっぱなしにしていると、昼の情報番組の合間に地域のニュースが流れてきた。

『ニュースです。3丁目の交差点に、昨日真っ赤なピエロが現れ、目撃者の情報ではあたりをうろうろとした後、突然姿を消したそうです』

木村は思わず起き上がり、ラジオに耳を傾ける。まさか。
詳細な情報が欲しかったが、時間の限られたラジオのニュースではすぐに話題は次の選挙のニュースに切り替わってしまった。

木村はスマホを取り出し、検索をかける。木村はSNSの類はやっていないため気づかなかったが、どうやら昨日から話題になっていたようだ。
目撃情報も何件も書き込まれていた。

確かに昨日3丁目の交差点に真っ赤なピエロが現れたらしい。
どういうことだ。あれは木村の悪戯情報ではなかったのか。

休みの間中そのことが気にかかっていた木村は、休み明けの月曜日の終業間際、今度は別の情報をメール配信してみる。

『2丁目の公園に象が2頭現れました』

さすがにこんな荒唐無稽な現象はありえないだろう。
メールを配信してから、あまりにも馬鹿馬鹿しいことに気が付いて、よっぽどそれを削除しようとも思ったがそれでもなんとなく木村はメールをそのままにしていた。

翌日流れてきたニュースに、木村は我が耳を疑った。
2丁目の公園に象が現れたというのだ。

いよいよ木村ももしかして、という気になってきた。
そのニュースを良く調べて見ると、象が公園に現れたタイミングはまさに昨日木村がメールを配信したタイミングだった。
これはいよいよ本物かもしれない。

木村は考える。メールを配信するタイミングで実際に物事が起こると考えると、これを実際に確かめるには木村の周囲で物事を起こさなければならない。そこで木村はこんなメールを配信する。

『市役所の前に全裸の女性が数名現れました』

どうだ。これならメールに書いたことが本当に起こるかどうか、木村にもすぐに確かめられる。
本来業務中は木村が部屋を出ることは禁じられているが、トイレなど致し方ない場合はもちろん認められている。
木村はメールを送るとすぐに部屋を出て、市役所前の広場を見渡せる廊下の窓から外を眺める。

いつの間にか木村の周りには人が集まって来ていた。
市役所全体がざわざわとしている。

するとどうだろう。市役所の中から数人の全裸の女性が飛び出してきたではないか。

木村は笑い出したいのをこらえながら、部屋に戻る。
これは本物だ。なぜかはわからないが、俺が配信したメール通りのことが実際に起こるのだ。

試しに木村は『市役所5階の第4事務室に美女の集団が現れました』と入れてみた。しばらく待ってみてもなにも起こらない。どういうことだ?なにかルールでもあるのだろうか。
木村はさきほどのメールをすこし文面を変えて出してみる。

『市役所前の広場に美女の集団が現れました』

先ほどと同じように部屋を出て廊下の窓から外を眺めてみる。
すると視界の下の広場に美女の集団が出てきた。その集団はしばらく広場をうろうろしていたが、どこへともなく去っていった。


木村は再び部屋に戻って考える。メールに記載できるのはどうやらあくまである程度の情報だけらしい。
例えば先ほどのように木村のいる部屋に突然美女が訪れるなどというピンポイントな情報は実現しない。
また美女が仮に現れたとしてもこちらに振り向いてくれるとも限らないし、木村が声をかけても無視されるかもしれない。

ならやはり先立つものだな。市役所前の広場だと木村が介入しずらいのはわかった。木村がいるのは最上階の5階なので、降りるまでに時間もかかるし、邪魔も入るかもしれない。
それなら屋上はどうだろう。屋上なら木村のいる5階から階段を1階分上がればすぐにたどり着ける。
それに施錠こそされていないものの、普段は立ち入り禁止である。
あそこならこっそり行けば誰にも気づかれることなしに、独り占めできるかもしれない。

これだ。木村は自分のアイデアにほくそ笑みながらメールを送った。木村が送ったメールはこうだった。

『市役所の屋上に金が降ってきました』

メールを送るとすぐに木村は部屋を出て、早歩きで階段を上り、屋上に出る。立ち入り禁止の札を無視してドアを開け、空を見上げる。さて、これで札束が降ってくるだろう。俺はそれをかき集めればいい。

すると、視界の一角にきらりと光るものが見えた。
天から落ちてきた金の塊は、そのまま木村の頭に直撃し、彼の頭蓋を破壊したのだった。


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