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思想犯


ある日突然、世界に『思想犯』が現れた。
元来の言葉通りの意味ではない。それは『思想』を盗むのだ。
「主義」と言ってもいい。

民主主義者。社会主義者。資本主義者。無政府主義者。利他主義者。利己主義者。快楽主義者。平等主義者。共産主義者。冷笑主義者。禁欲主義者。全体主義者。瑣末主義者。国家主義者。虚無主義者。完璧主義者。愛国主義者。原理主義者。博愛主義者。形式主義者。実用主義者。菜食主義者。厭世主義者。物質主義者。拝金主義者。軍国主義者。合理主義者。現実主義者。修正主義者。自由主義者。裸体主義者。

あらゆる主義者がその思想を奪われ、もぬけの殻のようになってしまった。

時には良いこともあった。暴力革命主義を奪われたテロリストは突然にその行為をやめてしまった。

しかし彼の盗みはそれだけでは終わらなかった。

『思想犯』が次に目を付けたのは宗教だった。

あらゆる宗教の信者がその行為に恐れおののいた。

「私もある日突然、信仰を奪われてしまうのではないだろうか?」

それは信じるものがある人々にとって最も恐れる事態だった。

特に動揺を見せなかったのは空飛ぶスパゲッティ・モンスター教徒くらいだった。


『思想犯』はいつまで経っても捕まらず、人々は日々恐れおののいて暮らしていた。道行く人の顔は一様に曇り、常に何かに怯えるような視線をあたりに振りまいている。

そんな中、口笛を軽く吹きながら気楽に歩いている一人の男がいた。

ある人が不思議に思い、彼に尋ねた。

「どうしてあなたはこんな世の中で平気でいられるのですか。『思想犯』に思想を盗まれるのが怖くないのですか?」
「全く怖くないね」
「なぜ?」
「だって俺は『確信犯』だからな。確信しているから、盗まれることもない」

(……そういう意味では、ないと思うんだけどなぁ……)

尋ねた人はそう思ったが、男があまりにも上機嫌だったので特に指摘はしなかった。

男はそのまま、口笛を吹きながら足取りも軽く去っていくのだった。

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