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現代アートを(思いのほか)楽しんだ話

現代アート。

難しいですよね、現代アート。
なんだかよく分からないものが目の前にごろんと転がっていて、果たしてこれは何だろうと首をひねるけれども、周りをこっそり見てみるとみんな難しい顔や分かったような顔をして腕を組んだり頷いたりしている。あれ、もしかして良く分かっていないの私だけ?なんて思ったりして不安になったりします。これは全くの個人的経験なのですが、ある日たまたま訪れた土地で現代アートの芸術祭をやっていました。

色んな事情が重なって、朝から夕方まで空いている時間があったし、駅周辺の観光地になっている場所を利用してやっているようなので、まあ観光がてらに見てみようかな、と思ったわけです。

結論から申し上げますと、とても楽しかったです。ほとんどすべての場所を回って一日歩き通しでした。なかなか話す機会もありませんので、せっかくですからこの場で記事にしようかなと思った次第です。

さて、前置きは以上としまして以降は各作品についてつらつらと述べていきます。

≪ニュー・ヒューマンズ≫

ニュー・ヒューマンズ

≪ニュー・ヒューマンズ≫
磁性流体を制御して動かしている作品。機械学習させた動作はDNAの他フィットネスやマッチングサービスのデータから生成。「ユーザープロフィール」の概念化。むしろ具現化に感じられた。

≪ソルト・スペース≫

ソルト・スペース

≪ソルト・スペース≫
床に撒かれた白い汚れに見えるものは動物の骨粉。ある種カタコンベ的な雰囲気の中を歩く。踏み出すたびにパキパキと骨粉が砕ける音が響いてゆく。厳粛なような、冒涜的なような、不思議な空間。

≪熱≫

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≪ソルト・スペース≫の中にあるいくつかの柱は触ると暖かい。病気のパターンからモデル化した温度に制御されている。この空間で温かみを持つのはヒトとそれを模した柱だけ。

≪幸福が(ついに)35,000年にわたる文明化の末に(ヘンリー・ダーガーとシャルル・フーリエにちなんで)≫

幸福が

≪幸福が(ついに)35,000年にわたる文明化の末に(ヘンリー・ダーガーとシャルル・フーリエにちなんで)≫
映像作品。まさに「非現実の王国で」の動画化と感じた。ポストアポカリプスのユートピアでありディストピアな世界。

≪以上すべてが太陽ならいいのに(もし蛇が)≫

≪以上すべてが太陽ならいいのに(もし蛇が)≫
映像作品。本展覧会の準備作業中の各所で裸に黒い絵の具などを塗った作家が踊る(なので画像は無し)。小学校や和室という見慣れた風景の中で西欧女性である作家が裸体で(拙く)踊る強烈な違和感。舞台となる小学校の会場に行く前だったので印象的なイントロとなった。

≪非ずの形式(幼年期)、無人、シーズン3≫

非ず

≪非ずの形式(幼年期)、無人、シーズン3≫
物語のような何か。映像を軸としその痕跡らしきものが複数配置されている。映像は英語字幕でどうにか理解したつもり。古い小学校の校舎、それでもなんとなく元の部屋がなんであったかわかるがゆえに言いようのない不安を呼び起こされた。

≪ワイルドなシンセ≫

ワイルド

≪ワイルドなシンセ≫
音楽作品。全体としては体育館を丸ごと使ったインスタレーションとも受け取れる。石の擦れや点滴の落下などランダムな音を増幅して空間に広げている。機械的なような、そうでないような、不思議な音。小さな子供も興味深そうな様子だった。

≪皮膜のプール(オロモム)≫

プール

≪皮膜のプール(オロモム)≫
プールに満たされた薄桃色の液体。標準化されたヨーロッパ人の肌色と聞くとアジア人としては不思議に感じる。「肌色」ってなんだったっけ。

≪2分、時を離れて≫

≪2分、時を離れて≫(画像なし)
アン・リーという漫画キャラクターは2001年にそのキャラクター権を作家から譲渡された。映像で語り始めた彼女は実在の女の子の姿で目の前に現れ、観客に自らの来歴を語り、質問をしてくる。彼女曰く「最初は2次元、今は無次元」。ちなみに本当に小学生くらいの女の子が袖から出てきて観客に話かけてくる。最後の問いは「希望と憂鬱の関係は?」関連するプロジェクト名の「No Ghost Just A Shell」は攻殻機動隊「Ghost in the Shell」を想起させますね。
写真はありませんが、タイトル不明のパフォーマンスアート。
(後で調べてみると恐らくティノ・セーガルの作品)
呪文の如きボイスパーカッションの唱和と共にコンテンポラリーダンスのようなパフォーマンスが始まる。神憑りを模したかのような光景。なんか呟いてる人達がいるなと近づいたらパフォーマンスが始まって正直びっくりした。贅沢にも一人で鑑賞。離れ時が分からない。

さて、全部ではありませんがつらつらと作品のインプレッションを並べてきました。いずれも自分の予想以上に楽しむことができ、良い経験になりました。

話は少し変わりますが、今回のアートフェスティバルでは観光客(もしくは旅人と言ってもいいかもしれません)として現代アートに思いがけず出くわす、という体験をしてきました。つまり明確な意思を持ってそこを訪れたわけではありません。ゆえに、私の目には現代アートと街並みが混然となって立ち現れてきました。つまりアートも珍しい風景の一部(かなり奇異な風景ではありますが)として受け止めたのではないかという気がしています。それは旅人が旅先の奇景に心動かされることに近いようにも思います。一方で岡山在住の方のネット上での感想では「見慣れた、馴染みのある風景が訳の分からないものに壊された」というような意見も見かけました。
近年では観光客誘致の一環としてのアートフェスティバルも多くあります。コロナ禍の中でその位置づけも変わらざるを得ないとは思いますが、「旅先でアートと出くわし、楽しんだ」という体験から得られたものとはまた別に地方と現代アートの関係についても少し考えるきっかけになったようにも思っています。

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