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三十五年目のラブレター 第31話

「吉井さん、桐谷の新しい情報が入りました」
 島崎が騒々しく捜査一課のフロアを大股に歩きながら吉井を呼んだ。
「ちょうど良かった、こっちもだ。で、どうした?」
 相変わらずスマートな物腰の吉井が、コーヒー片手に島崎の元へ向かう。
「桐谷はあのメンバーの中で唯一中橋と渡り合えるほどの美術通ですよ。今、桐谷のところから戻る前に、内藤きよみのところに顔を出したんです」
「小岩の?」
「ええ。宮脇家で新しい情報が入ったんですよ。宮脇恵美の亡くなる数日前、登山サークルの仲間で同窓会があったんです。ちょうど中橋がギャラリーを開くことになって、そのお祝いを兼ねた同窓会だったようです。そのことを聞こうと桐谷のところへ行ったんですが、同窓会の日に桐谷の教え子が問題を起こして、途中で呼び出されたらしいんです。それで彼は最後までいなかったというので、すぐ近くの内藤きよみの家に立ち寄ったんですよ。内藤は当日の事をよく覚えてました。誰もついて来られない中橋の美術談義に桐谷だけが普通について行っているのを見て、みんな呆気に取られていたらしいんです。桐谷は美術に造詣が深いというのが、彼らの共通認識のようです」
「そうか。これはますます怪しいな」
 顎をつまんで黙って聞いていた吉井がブツブツと独り言ちながらコーヒーに口をつけるのを見て、島崎は待ちきれないとばかりに「吉井さんの情報はなんですか」と顔を寄せた。
「まあまあ、落ち着け。例の鹿骨のネットカフェ、西川の強制猥褻の最初の匿名投稿があったネットカフェな、あそこの監視カメラ映像をずっとチェックしていたんだが。居たんだよ、桐谷らしい男が」
「本当ですか!」
「まあ、これを見てくれ。島崎にも確認して欲しかったんだ」
 吉井に促されるまま、二人並んでパソコンに取り込まれた動画を確認する。吉井がスタート時刻を入力すると、ポインタが移動する。
「ここだ。この後店に入って来る男が桐谷に似ていないか?」
 島崎は瞬きも忘れて画面に見入った。白っぽいシャツにグレーのスラックス、革靴に紙袋を下げた男がフレームに入って来た。そのままネクタイを締めれば、すぐにでも仕事に向かえそうな出で立ちのその男は、チラリとカメラの方に視線を向けた。
 桐谷だ――島崎は確信した。
「桐谷で間違いないか?」
「恐らく」
「もう一つ確認して欲しいものがある」
 動画を止めると、吉井はデスクからやや厚みのある大きな本を持って来た。アルバムか何かのようだ。
「船橋商業高校の卒業アルバムだ。西川の事務所で事務をやっていた例の望月さんから借りて来た」
「ああ、もっちーですか」
「それだ。あむりんの先輩」
 吉井はしっかりと呼び名まで覚えているようだ。ぱらぱらとページをめくっていたかと思うと、「ああ、ここだ、これを見てくれ」と開いたページを島崎の方へ差し出してきた。
 吉井が開いたページはクラブ活動のページだった。野球部、卓球部、テニス部、バレー部、バドミントン部、陸上部……ふと、吉井が「ん? ここじゃない」と更にページをめくった。
 文化部か。吹奏楽部、茶道部、美術部……美術部!
「吉井さん、この美術部の顧問、桐谷に見えませんか?」
「やっぱりそうか。俺もそう思ったんだ。で、この桐谷の前でポーズを取っているのが望月さんに見えるんだが」
「あ、そうですね。これはもっちーです。本人は幽霊部員で自分がどこの部活に入っていたか覚えてないと言ってましたが、顧問は桐谷だったと証言してます。確かに美術部なら幽霊部員になっても覚えていないでしょうね」
「これを借りる時も言ってたよ。自分がどこにいるかわからないってね」
 これはますます桐谷の線が濃厚になってきた。もう誰でもいい、とにかく川畑さんを返してくれ、という島崎の心の声が聞こえたのか、吉井が「もう一つ報告があるんだ」と言った。
「阿久津の内部告発をした佐々木さんに確認をとったんだ。桐谷に阿久津の横領について相談したとき、彼はそれが阿久津という男であるということを知っていたか、と」
「で、佐々木さんはなんと?」
「佐々木さんは『部長』としか言わなかったらしいんだが、その時自分の名刺を桐谷に渡している」
「じゃあ、佐々木さんの会社のホームページで部長の名前を調べれば一発じゃないですか」
「そういうことだ。二度目に相談したときには『正しいと思う事をしろ』と背中を押されたらしいからな。それが阿久津だと知った後だろう」
 直接的に「内部告発をしろ」とは言わずに「正しいと思う事をしろ」と言う。そして本人の判断に任せる、ということか。
 そこで吉井はニヤリと笑った。
「更に彼は面白い事を覚えていたんだ」
「なんですか?」
「桐谷はシャープペンシルを使わない。徹底した鉛筆派だったらしいんだ。それも普段から携帯用の折り畳み小刀を持ち歩いていて、必ずそれで鉛筆を削っていたらしい。よく絵描きが小刀で鉛筆を好みの太さに削るだろう、あんな感じだったようで、桐谷が鉛筆を削っているのは多くの生徒が目撃している。恐らく単なる美術部の顧問ではなく、彼自身も絵を描く人なのだろうと佐々木さんも言っていた」
「匿名投稿者のアカウントは全てアールヌーヴォー関連のアーティストでしたよね」
「全部ではないが、その近辺のアーティストが多かったな」
 西川の強制猥褻を望月奈絵や遅塚亜夢、渡部ヒカルらに告発させるために、自らアカウントを大量にとって最初の匿名投稿をした。そして彼女たちが炎上させた頃を見計らって、最初に登録したアカウントをすべて削除した。それらのアカウントは中橋が取ったように見せかけるために、アール・ヌーヴォーのアーティストの名前を選んだ。そう考えることに矛盾点は無い。
 そして阿久津。佐々木が阿久津の横領を桐谷に相談する。桐谷はそれが阿久津だとは知らない。だが佐々木の名刺から会社を検索し、経理部長が阿久津だと知った桐谷は、内部告発をするように佐々木を誘導する。矛盾点は無い。
 どちらも桐谷が『扇動した』というには足りないが、さりげなく誘導はしていることになる。
 問題は『なぜ、桐谷が二人の社会的地位を脅かす必要があったのか』だ。
 そして次のターゲットは中橋だ。この三人の共通点は何なのか。
「吉井さん、ちょっと俺、中橋のところへ行ってきます」
「そう言うと思ったよ」
 吉井は激励するように島崎の背中を叩いた。

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