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三十五年目のラブレター 第12話

 女性三人と男性一人のうち、男性は割と簡単に所在が掴めた。
 桐谷武彦、六十歳、独身。東都大学教育学部卒。この春まで船橋の商業高校で教鞭を執っていた。担当科目は簿記。自宅は江戸川区上篠崎。都営新宿線篠崎駅から徒歩で約十分。
 一日の中で気温が最も上がる時間帯にようやくその小さな古いアパートを見つけた島崎は、目当ての部屋から初老の男が出てくるのを視線の先に捉えた。大きなトートバッグを肩から下げてちょうどどこかへ出かけようとしているところのようだ。
 とにかくアポを取らないと何も始まらない、島崎は急いでその男に追いつくと後ろから声を掛けた。
「すみません、桐谷さんですか?」
 振り返った男は、こざっぱりとした半袖のシャツにチノパンというラフながらも清潔感の漂う服装で、短く切り揃えた髪のすぐ下から澄んだ瞳で島崎を見返した。
「ええ、そうですが。どちら様でしょうか」
「私、島崎と言いまして、警察の者なんですが。少しだけお話を聞かせていただけませんでしょうか。どちらかお急ぎですか?」
 桐谷はじっと島崎の目を見つめた後、「いえ、大丈夫ですよ」と返した。
「買い物に行こうとしていただけですから、構いませんよ。暑いですし、喫茶店にでも入りませんか」
「ご協力ありがとうございます。お願いします」
 桐谷に連れられて近くの喫茶店に入ると、馴染みの店なのか、マスターが「先生いらっしゃい」と声を掛けてくる。
 店内は年配客が多いせいか、冷房が少し弱めに設定されているようだ。若い島崎には、少々物足りなく感じる。
 アイスコーヒーをオーダーし、出されたおしぼりで額の汗を拭ってさっぱりしたところで島崎は本題に入った。
「最近、桐谷さんのところへ変わった郵便物は届いていませんか?」
「変わった郵便物ですか。変わったというのはどういう?」
「昭和の刑事ドラマなどで流行ったらしいんですが、印刷物の活字を切り貼りして手紙にしたようなものです」
 桐谷はそれを聞いてクスッと笑った。警察から話を聞かれるというだけで大抵の人は身構えるのだが、この男にはそう言ったところが全く見られない。
「ああ、新聞の見出しを切り抜いて紙に貼ったようなものですね。懐かしい」
「そういうものが届いてはいませんか?」
「いえ、届いていませんが。僕のところに届く予定でもあるんでしょうか」
「届くかもしれないし、届かないかもしれません。実は既に三人のところに届いています。その三人の共通点を調べてみたところ、東都大学の登山サークルに同時期に在籍していたことが判明しているんです」
「懐かしいですね。確かにも僕も東都大学で登山サークルに入ってました。中橋君と宮脇さん、阿久津君、西川君、ええとあと女の子は誰だっけな」
 よく覚えているものだな、と島崎は感心する。さすがに学校の先生だけあって物覚えは良いのだろう。
「木立さんと内藤さんですね」
「あ、そうそう。中橋君と宮脇さんはよく一緒にトレッキングに行ったので覚えてます。あとの四人は同じサークルと言ってもあまり顔を合わせませんでしたから記憶があやふやで。ところで誰のところに来たんですか」
「これは内密にお願いしたいんですが、阿久津さんと西川さんと中橋さんです」
 島崎の回答に、桐谷は少し考えてから口を開いた。
「阿久津君と西川君だけなら、なんとなくあっちの集団だなと見当がつくんですが、中橋君にもとなるとちょっとわかりませんね。男性ばかりということなら確かに次は僕のところへ届くでしょうが、どういう基準で送っているのか。どんな内容だったのかは教えて貰うことはできますか」
 ゆっくりと一つずつ確認するような話し方。相手に自分の言葉が伝わっているかどうか、相手の様子を観察しながら話している。それだけで、生徒に信頼される先生だったに違いないと、島崎に思わせた。
「申し訳ありません、捜査上の秘密でして」
「ああ、そうですよね。すみませんね、変な事を伺いまして」
「いえ」
「つまり僕のところにそのような手紙が届いた時には、島崎さんでしたっけ、あなたにお知らせすればいいということですね?」
「そうしていただけると助かります」
 桐谷はゆっくりとコーヒーに口をつけると、真っ直ぐ島崎の目を見た。
「他に僕にご協力できることはありますか」
「ああ、ではもう一つ。桐谷さんと中橋さん、もう一人宮脇さんは一緒にトレッキングに行くことがあったんですよね。残りの四人のメンバーは幽霊部員のような感じだったんですか?」
「むしろ彼らの方が頻繁に集まってました。登山サークルというよりアウトドア同好会のような感じでしたね。四人でキャンプに行ったり、バーベキューをしたり、そういう集まりでした。僕ら三人は山歩きを楽しむだけでしたから。尤も、卒業してからは連絡を取っていないので、みんなどうしているかは知りませんが」
 空振りだったか。ダメ元でもう一声押すか。
「桐谷さんが他のメンバーの方の連絡先をご存知でしたら教えていただこうと思っていたんですが」
「手紙が来た阿久津君と西川君と中橋君以外、つまり女性三人の連絡先ということですね」
「はい、わかる範囲で」
「そうですねぇ……木立さんと内藤さんは、在学中からあまり親しくしていなかったので、特に年賀状の交換などもなくて。結婚したかどうかすらわからないので、現在の名前も知らないんですよ」
 桐谷はここで一口コーヒーを喉に流し込むと、小さな溜息をついた。
「宮脇さんは随分前に亡くなりましたから」
「亡くなった?」
「ええ。一昨年三十三回忌でしたかね、一人で山にトレッキングに行って、そのまま事故で。木立さんと内藤さんのことは、阿久津君か西川君が知っていると思いますよ。卒業してからもよく遊んでいたようですから」
 なるほど、そうなればあとは阿久津に聞いた方が早いだろう。
「そろそろ買い物に行きたいんですが、他に無ければ失礼してよろしいでしょうか」
 一瞬ぼんやりとしてしまった島崎に桐谷がマイバッグを持ち上げて見せる。
「ああ、お引き留めしてすみません。私はここで昼食を取って行きます。ご協力ありがとうございました」
「ここのクラブハウスサンドは絶品ですよ。それでは失礼します」
 桐谷は穏やかな笑顔を残して喫茶店を出て行った。島崎はクラブハウスサンドを注文すると、情報を整理し始めた。

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