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ふたつのうつわ 第19話 氷のうつわ

 窯の扉が開けられたのは、先生が戻る前日の夜だった。
 炉内温度は室温と同じ。それがもう昼過ぎから続いている。
 一回拝んでからナツキは扉を開け、焼きあがった作品に目を瞠った。

 成功だった。
 かなり綱渡りをしながら、いちかばちかで釉掛けしたゴブレット。
 だが、美しい仕上がりである。

 手袋も必要ない。そのまま手に取り、ひんやりした器の中を覗き込む。
 多層に割れた氷の欠片が無数に並んでいた。氷の花にも見える。
 外側の貫入も問題ない。足の部分に流れた釉薬が、ビードロの塊となって途中に留まっている。いいアクセントになっていた。
 厚掛けの分、さすがに通常のゴブレットよりは重たいが。

「やったね」
「うん。やった。取り敢えずは」

 トーマの称賛に、ナツキは控えめに応じる。
 全くの手探り状態だった。しかし、窯の神様はご褒美をくれた。
 次の課題は、この釉薬のマスターだ。焼成プログラムから見直さなければ。

 ナツキの頭のなかは、もう次の事に移っている。
 偶然に出来たのは出来たとは言えない。幾つも作って自分のモノにする。それでこそ、やれたと言える。

「あと三か月、この釉薬を続けてみる。面白い。すんごく難しくて、面白い」

 ナツキの言葉にトーマがくくっと笑った。
 嬉しそうに。眩しそうに。

 陶芸は間口が広い。しかし奥は途方もなく深いのだ。
 はまり込んだら、そうそう出られるものではない。

「まっ。先生の課題はクリアかな」
「うん。ナツキ、ありがとう」
「えっ?」
「たくさん助けてくれて。ありがと」

 ナツキの作品が成功してホッとしたのだろう。トーマの目が潤んでいた。自分のことのように気にかけてくれていたのだ。
 スッと手を差し出したナツキに、トーマが久しぶりにきょとんとした。

「握手。ありがと、トーマ。一緒にやったから、作れたんだ」

 満面の笑みで握手を交わした二人は、同時に大きく息をつき……。
 そして、その場にへたり込んでしまった。

 ◇

 個展と展示会の長丁場を終え、先生がようやく帰って来た。
 客足は上々だったようだ。年末年始の期間は、イベントも賑わう。

 お土産の菓子を広げたところで、二人の生徒が課題作品を取り出した。
 氷裂貫入はすぐに分かった。しかしトーマの使った釉薬は、先生の知らないものである。ナツキが説明した。

「これ、1013℃の低温釉なんだ」
「組んだのか。焼成プログラム」
「うん。組んだ。まさか、やることになるとは思ってなかったけど」
「星のうつわだな。花器にするといいかもね。低温釉は、酢の物なんかを入れると釉薬が溶け出すことがある。ちゃんと検査を通った釉薬だろうけど、念のためにね」
「そうなんだ」
「こっちは氷のうつわだ。綺麗に貫入が出てる。きちんと徐冷したんだな。しかし、この短期間でやるとはね」
「氷裂は偶然出来たんだ。これから練習する」

 二人のやりとりをトーマが嬉しそうに見つめ、その頬をノーラがザリザリと舐める。いつもの光景が戻っていた。

「窯場の掃除と棚板の手入れ。再生土まではやっといた」
「頼もしいな。後輩が出来ると変わるもんだな」

 先生が茶化すと、ナツキが照れたようにそっぽを向く。だが次の先生の評価に、真顔に変わった。

「課題は文句なしの合格だ。二人とも頑張ったな。びっくりしたよ」
「あ、ノーラも入れて欲しいんだけど」
「ノーラ?」

 ナツキがノーラの手柄話をすると、先生が楽しそうに笑った。
 グルグルと機嫌よく鳴いている猫のほうは、もっと撫でてくれと言わんばかりに腹を見せる。

「さすがは、うちの猫だな。ノーラ、よくやった」

 褒められた側は、満足げににゃあと返事をした。

 ◇

 三学期が始まると、ナツキは陶芸専門学校の資料を集めて、今後の計画をたて始めた。芸大に行かなくても民間の学校があるのだ。
 島から通える場所ではない。その間はアパート暮らしとなる。

「どうせ二年だし、冷蔵庫も洗濯機もいらねえ。スーパーとコインランドリーが近いとこ探すから」

 そう言うと、ナツキは自分専用のスマートフォンだけを貯金で買って、後は現地で調達すると言った。ワンルームのアパートも、いくつか候補を見つけたようだ。

 自分の帰る場所は、この島。
 自分の目標は、この工房で叔父と一緒に作陶し自活すること。
 ナツキの将来像はハッキリしていた。行きたい場所が分かっていれば、そこに向かって真っ直ぐに行ける。

 氷裂貫入釉の試作も続いていた。
 再びたくさんのテストピースを作って、釉薬に浸す時間を割り出すのだ。
 焼成プログラムも組んだ。じっくり時間をかけて冷ますパターンを入力する。
 高校最後のお年玉は、すべて釉薬代に化けた。今度は余裕でずぶ掛けできる量である。

 トーマの方は、タタラで苦戦していた。ナツキも通った道である。
 歪み、反り、ヒビ割れ。一通り経験して、ようやく対策がたてられるのだ。
 乾燥が上がるたび、素焼きがあがるたびに、トーマの悲鳴が聞こえる。さぞや、ガチャンが盛況なことだろう。

「土をのばす時は、一方向じゃなくて縦横で方向を変えてね」
「ワイヤーで切った表面と側面は、とにかく締めることだよ」
「十枚作って、二枚出来たら御の字だ。数作っていけば、成功率は上がるからね。大事なのは、失敗した後に原因を考えることだ」
「焦らず、ゆっくりね。焦っても、いいことはないよ」
「私が言うことは極端な例だ。いい方法に気付いたら、どんどん試してね」

 ナツキが言われてきたのと同じことを、トーマも言われていた。乾いたスポンジが水を吸うように、知識と技術を上げていく。

 トーマは、薄曇りの日になると、先生の作品の写真を撮っていた。
 スタジオで撮ったような商品写真ではなく、背景にぼかしの景色をいれた写真。
 アンティーク塗装をした撮影台まで自作していた。

 ずいぶんとお洒落になった販売サイト。魅力的な写真が並んでいた。
 リンク先を増やしたこともあり、新規にフォローされる作品が増えている。
 サラリとしたマット釉。しっとり滑らかな粉引き。ぼこぼこした条痕釉(じょうこんゆう)。
 この手触りばかりは、実際に触った人にしか分からないが。
 陶芸をやる者にしか、貫入音が聞けないように。

 ナツキの卒業の日が近づいていた。
 たった二年だが、それでも二年。
 その寂しさを忘れようとでもするかのように、二人は作陶に没頭していた。