承認欲求とルッキズム
今回はルッキズムについて。
まずは、山田五郎さんのチャンネルでも取り上げられていたこの作品。
「醜女(しこめ)の肖像」
醜女の肖像(英: A Grotesque Old Woman、または The Ugly Duchess)は、フランドル派の画家クエンティン・マサイスが1513年頃に描いた、風刺的な肖像画です。
この作品は、皮膚にしわが寄り、襟ぐりの深いドレスからしぼんだ胸をのぞかせるグロテスクな老女が描かれており、若い頃のような貴族風のツノ状の髪飾りをつけていますが、すでに時代遅れのものとされています。
また、この絵はレオナルド・ダ・ヴィンチの風刺画の頭部の素描と酷似しており、マサイスがダ・ヴィンチと素描を交換していたことが知られています。現在ではマサイスの絵を元にしたと考えられています。
さらに、この絵はジョン・テニエルが1869年に描いた『不思議の国のアリス』の公爵夫人のイラストに影響を与えたとされています。
この絵のモデルは、骨が肥大・変形するパジェット骨病の珍しい症例だという指摘がなされており、そのためにグロテスクな外見をしているとも言われています。しかし、実際にいたモデルから描いたというよりは、おそらく架空の世界の人物だろうと考えられています。
この絵は、美と醜の概念を問い直す作品として、今日でも多くの人々に影響を与え続けています。
***美と醜の概念を問い直す……まさにって感じ。
マサイスが何を思ってこの肖像画を描いたのかは分からないけど、老人になった今でも若い頃の美の基準に執着した結果、かえってグロテスクになっているのに、それを理解せずに未だに男性に媚びていると皮肉っているように見える。もうタイトルからして、ひでぇって感じだものな。
そこで、美醜など関係ないAIに色々と聞いてみた(笑)
ルッキズムとは何ですか?
ルッキズム(Lookism)は、外見で人を判断し、それによって差別を行うことを指します。この社会問題は、世界中で広がっており、特にSNSの普及によってさらに注目されています。
歴史的には、外見による差別は昔から存在しており、ルッキズムという言葉は1978年にアメリカのメディアで作られたものです。外見による社会的な待遇の違いや、見た目だけで人格を判断することが問題となっています。
ルッキズムによる影響は、摂食障害など心身にも及ぶものです。
何気なくやってしまいがちなルッキズムについて、一度立ち止まって考えてみることは大切ですね。
なぜ人類はルッキズムをするのですか
ルッキズムがなぜ発生するのかについては、社会心理学や進化心理学の観点からいくつかの理由が考えられます。
人間は本能的に、健康や生殖能力の高さを示す外見的特徴に惹かれる傾向があります。これは、種の生存と繁栄に有利だったため、進化の過程で形成されたとされています。
また、メディアや文化的な影響によって、特定の外見が美しさの基準とされ、それに合わない人々が不利益を被ることもあります。これは、社会的な学習と呼ばれるプロセスを通じて、人々が「美しいものは良いもの」という価値観を内面化することにより起こります。
さらに、人間は未知のものや異なるものに対して警戒心を持つ傾向があり、これが外見の違いに対する偏見や差別につながることもあります。ルッキズムは、これらの心理的メカニズムが複雑に絡み合って生じる現象と言えるでしょう。
しかし、ルッキズムは個人の意識や社会の価値観によって変化するものであり、教育や啓発活動を通じて減少させることが可能です。外見だけでなく、人間としての多様性や個性を尊重する文化を育むことが重要です。
マズローの欲求5段階説の承認欲求について教えて
マズローの欲求5段階説における「承認欲求」は、人間が社会的な存在として他者からの評価や尊敬、承認を求める心理的な欲求を指します。
この段階では、個人が自己の価値を認められ、他者からの尊重や評価を得たいと願います。具体的には、仕事での成功や成果を認められたい、社会的な地位や名誉を得たい、または人間関係の中で重要な役割を果たしたいという欲求です。
承認欲求は、自己実現への道の中で重要な役割を果たします。人々は自分の能力や貢献が認められることで、自己肯定感を高め、さらなる成長や発展を目指すことができます。
しかし、この欲求が過度になると、他者の評価に依存しすぎてしまう危険もあります。そのため、自己承認や自己尊重の重要性も強調されています。
マズローの欲求5段階説は、人間の動機づけや行動の理解に役立つ理論として、心理学だけでなく、ビジネスや教育など様々な分野で応用されています。この理論によれば、人は基本的な生理的欲求や安全欲求が満たされた後に、より高次の社会的欲求や承認欲求、そして最終的には自己実現欲求を追求するとされています。
承認欲求とルッキズムの関係性を教えて
承認欲求は、他者からの評価や尊敬、承認を求める心理的な欲求です。一方でルッキズムは、人々が外見に基づいて他者を評価する傾向や、外見が社会的な成功に影響を与えるという考え方です。
現代社会では、特に若者の間でSNSの利用が広がり、承認欲求を満たす手段として使われています。SNSでは、容姿やファッションなどの外見に関する投稿が多く、他者からの「いいね」やコメントを通じて承認を得ることが一般的です。このような環境は、外見に対する意識を高め、ルッキズムを助長する可能性があります。
また、承認欲求が高い人は、外見に対する自己評価が低い傾向にあり、ルッキズムによる社会的圧力を強く感じることがあります。これは、外見に基づく評価が自己価値感や自尊心に影響を与えるためです。承認欲求が満たされないと、自己肯定感の低下や社交不安を引き起こすこともあります。
さらに、ルッキズムは容姿に対する過度な意識や評価を社会が奨励することで、個人の承認欲求を刺激し、外見に対する不安やプレッシャーを増大させることがあります。これにより、自己受容や多様な美の価値を認識することが難しくなることも指摘されています。
承認欲求とルッキズムの関係は複雑で、互いに影響を及ぼし合っています。承認欲求がルッキズムを助長する一方で、ルッキズムが承認欲求を高めるという相互作用が存在します。このため、個人が外見だけでなく内面の価値を認識し、自己肯定感を高めることが重要です。
***承認欲求がルッキズムを助長する一方で、ルッキズムが承認欲求を高めるですか。ふむ。
にしてもAIが内面の価値、内面の価値って連呼するのは、ちょっと笑える。AIが実感していることじゃないからね(笑)
でもですよ。美の基準のひとつに「若さ」ってものがあるのだけど、まあせいぜい20歳までの話。つまりそれ以後は、うっかりしてると「外見が良くても中身がねえ」と言われるってこと。
「醜女の肖像」じゃないけど、勘違いしたまま歳をとった「こころも醜い」人間になるのは怖いわあ。
人生100年って考えると、見た目でちやほやされるのは全体の1/5。
他人の評価に振り回されるのは、時間の無駄だよね。
美が種の保存と繁栄に有利であるなら、醜が進化の過程で淘汰されなかったのはなぜ?
美しさが種の保存と繁栄に有利であるというのは、一般的な傾向であり、必ずしもすべての個体に当てはまるわけではありません。進化の過程で、外見だけでなく、多様な遺伝的特徴が生き残り、繁栄してきました。これにはいくつかの理由があります。
遺伝的多様性: 種の生存には遺伝的多様性が重要です。異なる環境や条件に適応するためには、さまざまな特徴を持つ個体が必要です。
生存戦略: 外見が「醜い」とされる特徴も、特定の環境や状況においては生存に有利な場合があります。
適応の幅: 美しさは一つの適応形質に過ぎず、他の形質(知能、社会性、耐病性など)も生存と繁栄に寄与します。
個体差の価値: すべての個体が同じ特徴を持っていると、病気や変化に対する脆弱性が高まります。個体差は種全体の強さを保つために役立ちます。
また、美しさの基準は文化や時代によって変わります。進化の過程で「美しい」とされる特徴が好まれることはありますが、それが絶対的なものではなく、多様な特徴が共存することが種全体の健康に寄与しています。したがって、「醜い」とされる特徴も、種の多様性と進化の一部として存在し続けるのです。
***存在し続けるのね。ここはオブラートにくるまないのだな(笑)
美が生存に有利な条件だったとはいえ、現代では美容整形が当たり前に行われているしな。とはいえ整形した顔は子供には受け継がれないから、進化とは別物か。
時代によって価値も変わるね。そのいい例を見つけた(笑)
ボッティチェリの作品が400年間忘れ去られていた理由は、芸術の評価が時代と共に変化するためです。ボッティチェリの生きたルネサンス時代は、彼の作品が高く評価されていましたが、その後の時代には異なる芸術様式が好まれるようになりました。特にバロックやロココの時代には、ボッティチェリの繊細で理想化されたスタイルは時代遅れと見なされ、人々の関心から遠ざかってしまいました。
19世紀になって、ラファエル前派の画家たちがボッティチェリの作品に新たな価値を見出し、再評価されるようになりました。彼らはボッティチェリの純粋で美しいスタイルを賞賛し、彼の作品は再び注目を集めるようになったのです。このように、芸術の評価は時代の流れと共に変わり、一度忘れ去られた作品が再発見されることも珍しくありません。ボッティチェリの作品も、その一例と言えるでしょう。
***現代人が見ても美しい絵画だと思うのだけどな。え? ぽっちゃりしすぎだって? ほらほら、現代のルッキズムに侵されてますよ(笑)