マガジンのカバー画像

罪と罰日記

17
フュードル・ミハイロヴィッチ・ドストエフスキーの「罪と罰」を読む度に感想を書いた日記(2008年に書いたものです)
運営しているクリエイター

2019年7月の記事一覧

罪と罰日記 7月6日 (続く)にワクワク、ドキドキ

 「続く」にときめいた記憶をお持ちだろう。

 ガッツ星人に捕らえられたウルトラセブンがはりつけにあった場面を見た後の「続く」。
 3番目のボタンをはずすと爆発するビジンダーが二番目のボタンを開けた後の「続く」。
 あの「ドキドキ」「ワクワク」感は、面白さの重要なポイントだろう。

 「罪と罰」にもある。堅苦しくて難しくてややこしくて名前が覚えられない印象ばかり強いロシア文学の代表作にも、「続く」

もっとみる

罪と罰日記 7月12日 まるで「刑事コロンボ」そして感動

 哲学や理想と言葉ばかりが先走り、行動はうかつでずさん。

 青臭さ一杯の「罪と罰」主人公ラスコーリニコフは、「世の中にとって価値のない婆を一人殺して、その金を奪っても、可能性のある若者100人の役に立てばそれは善だ。犯罪がばれるのは計画が甘く、行動が計算されていないからだ」と口ばかり達者で、犯行当日、凶器とするはずの斧はあるはずの場所にない、殺しの現場にいるはずのないリザヴェータが来てしまい、殺

もっとみる

罪と罰日記 7月18日 「女好きで何が悪い」と開き直るスヴェドリガイロフ

 とにかく「罪と罰」の登場人物はよく喋り、よく書く。
 いずれも長い。
 「おせん泣かすな、馬肥やせ」をよしとし、木と紙で出来た家に住み、味噌汁と漬け物と米を食べて生きて来た日本人には理解できない長さがある。

 くどい。しつこい。耐え難い。
 ドストエフスキーの小説を近寄り難くしている要因は、内容の難しさよりこの語りと手紙の長さではないだろうか。
 この長さが心地よくなってきたりしたら、もうあな

もっとみる

罪と罰日記 7月20日 まるでハリウッド映画 ドーニャの絶体絶命

 薄々気付いていたが、ドストエフスキー、意外にエンターテイナーである。

 確かにテンポは悪い(なんて、世界的名作に言っていいのか)。
 理屈っぽい。主人公はすぐ怒ったり憂鬱になったりして、全編暗い。
 
 しかし、犯罪者がその罪に気付いている予審判事と対決する「デスノート」のようなスリル。
 饒舌な予審判事のユーモラスと思えなくもない言葉が、次第に犯罪者の罪を暴き、その心をえぐる「刑事コロンボ」

もっとみる

罪と罰日記 7月27日 矢吹丈のように駄目な奴が物語を紡ぐ

 どうしようもない駄目な奴。
 それを描いてこそ、物語は生きると思う。

 矢吹丈なんて、KCコミックス版5〜6巻くらいまで、文字通り、性格も悪くてひねくれて、人をだましてばかりいるどうしようもない奴だった。

 映画『ゴッドファーザー』で忘れ難いのは、冷静で計算高いマイケルより、怒りっぽいソニーだし、父親さえ守れず兄弟を裏切りさえしてしまう次男のフレドだろう。

 「罪と罰」の登場人物は女性以外

もっとみる

罪と罰日記 8月9日 ついに読了! 小沢健二じゃないけれど、愛し愛されて行きていこう

 「愛がなくちゃね」と言ったのは矢野顕子だっけ。つまり、「罪と罰」の結論です。愛されていれば、愛する人がいれば、生きる意味はある、価値はある。すっげえ、退屈な結論だが、いや、ジョン・レノンじゃないけど、「愛さえあれば何でもできる」ってことで。
 最終章。ラスコーリニコフはだらだらと愛する女性3人に会う。母、妹、そして愛する人ソーニャ。
 「そうさ、僕は卑劣漢だよ、愚か者さ」と自嘲するラスコーリニコ

もっとみる

罪と罰日記 8月16日 個人的総括「罪と罰」は意外な娯楽作

 実は予想以上に「罪と罰」、楽しめた。

 なぜと言って、思った以上に俗っぽいからだ。

 なにせ題材が計画殺人(というほど計画的じゃないのがご愛嬌だが)。
 美女との恋や予審判事との丁々発止のやり取り、俗な悪役(ドストエフスキーがお嫌いらしいユダヤ人)の策略とその暴露など、ドストエフスキー、実は割とエンテテイナーと見た。

 スヴェドリガイロフにレイプされかけたドゥーニャのポケットから拳銃が出て

もっとみる