罪と罰日記 8月16日 個人的総括「罪と罰」は意外な娯楽作

 実は予想以上に「罪と罰」、楽しめた。

 なぜと言って、思った以上に俗っぽいからだ。

 なにせ題材が計画殺人(というほど計画的じゃないのがご愛嬌だが)。
 美女との恋や予審判事との丁々発止のやり取り、俗な悪役(ドストエフスキーがお嫌いらしいユダヤ人)の策略とその暴露など、ドストエフスキー、実は割とエンテテイナーと見た。

 スヴェドリガイロフにレイプされかけたドゥーニャのポケットから拳銃が出て来たときは笑った。
 B級ハリウッド映画でもなかなか見られない展開だ。

 それから個性的なキャラクター。
 個人的には予審判事のポリフィーリーに惚れた。
 主人公ラスコーリニコフの殺人を確信していながら、与太話、世間話でラスコーリニコフを振り回し、心理的に追い込んでいくユーモアとサスペンスは、「刑事コロンボ」にも共通する知的カタルシスがあるように思った。
 世代が違えば、「デスノート」の夜神月とエルの腹の探り合いを思い浮かべるかもしれない。

 しかもポルフィーリーは、ラスコーリニコフに好意を抱く。
 犯罪者であるラスコーリニコフが、救い難い悪人とは思っていない。
 未来ある若者と見る。そして自首を勧める。
 ラスコーリニコフがもっと凶悪な犯罪に手を染めていなかったことを不幸中の幸いだったと喜ぶ。
 うん、ポルフィーリーみたいな粋な人に会いたい。

 後半まで醜悪で憎らしくて不快でしょうがないスヴェドリガイロフにも、最終的に愛を感じた。
 ラスコーリニコフの妹ドーニャに好意を寄せ、妻子ある身でありながら交際を迫り、ドーニャを困らせるだけ困らせた男。
 その事実を妻に知られ、間を裂かれながらも、妻の死後、性懲りもなくドーニャの後を追いかけ、金にモノをいわせて接近する。
 ああ、うっとおしい、いやらしい。

 最終的にレイプまでしかけ、抱きかかえたドゥーニャに「いつまでも、どうしても愛せない」と言われる。
 そこで彼女を離す。
 ここで一気に好きになってしまった。
 どうしようもなく駄目な奴が自らの孤独をひしひしと感じる。
 幻覚に襲われ、自殺する。スヴェドリガイロフ、あんたは淋しかったんだな。
 誰かを愛し、愛されたかったんだな。
 
 「『罪と罰』は難解だ」という一般的な印象は、会話と手紙の長さにあるように思う。
 いやあ、長い。
 ロシア人はこんなに饒舌なのかと思うくらい長い。くどい。
 その会話の中で、妙に理屈臭くなる。ここで人は「難解だ」と思ってしまうのではないか。
 しかし、案外物語はシンプルだし、思い切って読んでしまえば、読めてしまうはず。

 ドストエフスキー、少なくとも「罪と罰」は、会話が理屈臭い娯楽作、と見た。


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