罪と罰日記 7月12日 まるで「刑事コロンボ」そして感動

 哲学や理想と言葉ばかりが先走り、行動はうかつでずさん。

 青臭さ一杯の「罪と罰」主人公ラスコーリニコフは、「世の中にとって価値のない婆を一人殺して、その金を奪っても、可能性のある若者100人の役に立てばそれは善だ。犯罪がばれるのは計画が甘く、行動が計算されていないからだ」と口ばかり達者で、犯行当日、凶器とするはずの斧はあるはずの場所にない、殺しの現場にいるはずのないリザヴェータが来てしまい、殺さなくてもいい人を殺さざるを得なくなる。

 老婆に金を借りに来た男達がやって来て騒ぎ出したため、身動きが取れなくなると、何一ついいところなしだったわけです。
 しかも、予審判事の前でうろたえたり挑発してしまったり、よせばいいのに、の大連続。
 まともな推理小説なら、とっくに物語は終わってしまっているところですが、そこはお喋り付きで冗長でご都合主義を適度にまぶしている、ある意味娯楽作家のドストエフスキー。
 ラスコーリニコフになんとか急場をしのがせるのです。しのぎ過ぎですが。

 しかし、ただ一人愛した女性ソーニャに犯行の事実を打ち明けた際、うかつにも壁の外からスヴェドリガイロフに聴かれてしまうわけです。
 うかつにもほどがあるし、スヴェドリガイロフ、タイミングよ過ぎ。

 そのせいもあって、不安におののく毎日を送るラスコーリニコフ。
 行動も精神もおかしくなる。

 当然ですね。
 「罪と罰」上、最もおせっかいなラズミーヒンから、予審判事ポリフィーリーを通して、老婆殺人事件の真犯人が判明したことを伝えられます。

 ラスコーリニコフ、ポリフィーリーの罠にはまる。
 たぶん、ポリフィーリーは、ラズミーヒンに喋れば、ラスコーリニコフに伝わることを知ってるんですね。術にはまったラスコーリニコフ、よせばいいのにポリフィーリーを訪ねるのです。

 「まったくこのたばこというやつは」
 訪れたラスコーリニコフに、ポリフィーリーはこう話しかけます。
 咳は出るし喉はむずむずするし、ろくなことはない。それでもやめられませんな。この前ね、医者に診てもらったんですが、30分もかけてみてくれたんですが、タバコがよくない、肺が拡張している、タバコをやめろと言う。やめられるもんですか。どうしろって言うんです?

 などと、どうでもいいことを延々喋り続けるんです。

 先日は失礼しました。いやあ、お互い膝ががくがくでしたね。あなたも取り乱してたし、私も同じだった。ミコライが自白するとは予想外だったもので。でもね、私、信じていない。真犯人はほかにいる。予審判事なんて仕事してますとね、疑り深くなる。いやあ、ザメートフはいけませんな。彼は単純過ぎる。すぐ信じ込む。あなたは怒りっぽいですな。わかります、わかります??。

 などと10ページ以上喋り続ける。
 そう、「刑事コロンボ」みたいでしょ。

 明らかに犯人と目星を付けている容疑者の前で「うちのかみさんがね、あなたの小説の大ファンでしてねえ。参ったなあ、サインいただいてよろしいですか。ありがとう。今晩、かみさんが喜びますよ」などと戯れ言を延々喋ってるうちに核心に迫る。
 あの姿とそっくりです。
 100年以上前の犯罪小説にも、コロンボはいたわけで。

 なんでも自白したミコライの親戚にベグーン教徒がいるっていうんですね。
 この新興宗教では、人の罪を被ることが善なんだそうです。

 ぶるぶる震えるラスコーリニコフ。
 ちっとは落ち着けと思うんですが。そのへん、「デスノート」の夜神月とはえらい違いだ。あっちは不自然なくらい冷静だもの。

 そして尋ねます。
 「では…いったい…誰が殺したんですか?」
 ポリフィーリーは答えます。
 「そりゃあなたが殺したんですよ、ロジオン・ロマーヌイチ。殺したのはあなたです」

 震えました。

 ポリフィーリーは打ち明けます。実は証拠はない。あくまで推論でしかない。しかし、あなたが殺したと確信している。からかってるんじゃない。私はあなたが心底好きでしてね。だから言ってるんだ。逮捕なんかしない。悪いことは言わない。自首しなさい。そして減刑されなさい。婆さん一人で良かった。もしかしたらあなたは、数倍悪いことをしていたかもしれない。神はあなたを守ってくださったのかもしれない。これだけで済んだんだ。あなた人生の何を知ってます?人生を味わいましたか?理論を訴え、それに挫折したからって、人生を捨てちゃいけない。あなたは卑劣感じゃない。だから神か何かを見つけなさい。そして生きなさい。正義の要求を実行なさい。信じてないでしょうな。しかし、いつか生がもたらしてくれますよ。自分から正義を好きになります。まずは空気ですよ。空気を吸いなさい??。

 不覚にも心打たれました。
 ドストエフスキーが最も訴えたかったのは、きっとここにあったのでしょう。

 とにかく生きろ。
 そうすれば何かが見つかる。

 楽観的に過ぎるかもしれない。
 しかし、生きている以上、最も賢い思いではないか。そう思います。
 暗くない。実はドストエフスキー、暗くない。
 ただ、長くて、冗長で、時系列通りに物語が進む演劇みたいですが。

 とうことで、第六部突入。岩波文庫版下巻225ページ。ポリフィーリーの挑戦に、慰めに励ましに、どう答えられるのか。スヴェドリガイロフの悪意はどう出る?ソーニャとの愛は?菊池寛並みのメロドラマ風に展開してきました。

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