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「気流の鳴る音」オンライン読書会のすすめ方/ホリム・ベイ



はじめに

毎週土曜日の20-22時、気流舎の名前の元になった「気流の鳴る音」のオンライン読書会を開いています。

その読書会のすすめ方が「変わってる」「おもしろい」と言ってもらうことがあるので、そのすすめ方とどうしてそういうやり方にしたかについてまとめておきます。現状考えていることなので、変わっていって良いと思っています。なのであくまで参考まで。

このnoteで参加しやすく、楽しみやすく、それぞれの収穫が多くなったら良いなと思います。

企画はホリム・ベイ。

告知文はだいたいこんな感じ

各自好きな本・好きな場所を読む図書館スタイルのオンライン読書会です。
「気流の鳴る音」が手元になければ他の本でもオーケー。

◯月/◯日(土) 20:00-22:00 ※途中入退場OK

最初の1時間
輪読ではなくて、黙読で各自、好きに読むスタイル。

後半の1時間は
感想言い合ったり、雑談になってもあり、みたいなイメージです。


さらに、当日、読んだ箇所や話題に出た本など記録していこうと思います。

気流舎コレクティブ note (始めました!)
https://note.com/kiryuusha

前半の1時間(黙読)について

最初に考えたのはただ「ゆるく」やりたいということだった。その方が現実的だし、楽しそうだと思った。本がなかったら参加できない、あそこまで読んでなきゃ参加できない、理解してないと参加できない、みたいな「圧」がかかるのが嫌だった。

あと、この読書会の参加者はだんだん増えていったり、日によって変わっていったら良いなとイメージしてた。だから、「この日はこの本のこのページを読みます」というのは現実的ではないと思った。

そしたら、各自、好きな本の好きな場所読んだら良くないか?
と思った。いつでも、読まなきゃいけない本じゃなくて、「いま一番読みたい本」を読んだ方が効率がいい。つまり身に入る。良いね。


だったら、読書会やる意味なくない?

とは思わなかった。たぶん、居間で勉強するタイプだったからだと思う。
思いついた時、すぐに「名案!」って思った。
むかし、ハーポ部長と喫茶店に入ってそれぞれ本を読むとかやったな、とか思い出していた。下北沢の店舗で店番している時もお客さんとそんな話をしている時があった。だからなるべくミュートせずに雑音は共有して同じ時間を過ごせればと思う。

「本を読む時間をとれない」って悩みは自分も抱えているし、そういう人が多くいるのも感じてた。本を読む時間をブロックする。その時間を共有する。そういうの望んでいる人いるんじゃないかな、と思った。

読書が進むのは、会話が弾むのとはべつの喜びがある。
なにより、自分も本を読む良いきっかけになるぞ、なに読もうかな?と思って楽しくなってきた。

よし前半の1時間は黙読にして後半の1時間は雑談にしようと思った。こういう時期だし、雑談もしたいなと。本を読んだあとの雑談だから本の話になるだろうし、その時間も有意義なんじゃないかと思った。

後半の1時間(雑談)について

後半の1時間の「雑談」のすすめ方についても書いておこうと思う。
それから「雑談」の時間をnoteに記録していこうと考えているので、そのことも合わせて書いておきます。

繰り返しになるけれど、各自が本の好きな場所を1時間黙読する読書会なので、「気流の鳴る音」が手元になかったり、読み終わっていたり、気分でなかったなら他の本でも良いというゆるい感じで続けていければと思う。
静かに雑音を共有しつつ少しくらいなら喋ってもいい図書館みたいなイメージ。

後半の1時間は、その日、どんな箇所に惹かれたかを共有する時間にしているので、雑談の時間を記録していこうと思う。

読書会というものは一般に、参加者が同じ箇所を読み、それぞれの読み方を提示し、議論を深めることで、1人で読むこと以上の収穫を得る、というものだろうと想像はしてる。(自分はあまり読書会に参加したことがない。)

だけど、この読書会ではあまり議論はしたくない。
ただ参加者が、今日はここを読み、ここに感銘を受けた。という話を聞きたい。
そして、なるべくなら、感銘を受けた場所を「朗読」することで提示してもらえたら良いなと思う。

それに対しては、良いも悪いもない。ただ「あー今日あなたはそこに感銘を受けたんだね」というだけだ。
だから、感想を言う時もどうしてそこに惹かれたかは、話しても話さなくても良い感じ。良いこと言おうとすると、初めて同士の人もいるし、プレッシャーかかるから。

参加者同士で読書量の多さや、理解度の深さを競い合うことに意味がないように思う。それよりも、各人が本を読みそれぞれ収穫を得て、そこに集まった人の感覚を共有するイメージ。

それでは議論はふかまらないし、複数人で読んでいる意味がないのかというと、それがそうでもないと思っている。これは目論見としてもそうだったけど、何回かやってみての実感としてもそういうものが確実にある。
「読書会」を開くことの可能性を毎回感じている。

参加者は同じところを読むこともあるし、違うところをあげることもある。あるいはこの読書会では「気流の鳴る音」と銘打っているけれども、別の本でも良いことにしているので、気流の鳴る音ではない本の話も混じる。

それでもその日、同じ時代のその時を共有し(いつでも宇宙は今が最先端だ。その時間を共有しているのだと思う)、読書の時間を共有していると、その日その時だけの、集まった人々が作るグルーブがある。それを記録していきたいと思う。


議論をしない思索の深め方として、以前、気流舎でイベントをしてもらった「哲学対話」がヒントになってる。対話のゴールを決めず、結論を出さず、時間が来たら終わるスタイルの気持ち良さが忘れられない。

参考)
この社会には「語る自由」がない【リバイバル】 梶谷真司
https://www.gentosha.jp/article/11403/?fbclid=IwAR3E7E_-wCAuri6lfGePw3BBv_t7_r-kLGMdtNzhOOYoSuA931SQqlHMYVs
※「哲学対話」の8つのルールもリンク先にあります。

こういうイベントだった
学問・研究をポップにカジュアルに、哲学対話を通じて考える(2020年1月17日)
https://www.facebook.com/events/2633094000142783/

真木悠介「気流の鳴る音」について

最後にせっかくなので、「気流の鳴る音」について。
どんな本でも良い読書会だけれども、本の名をあげたほうが最初はやりやすいのじゃないかと思った。それで「気流の鳴る音」にわりと気軽に決めたけれどすごく良かった。
このコロナ時代にあっても、「気流の鳴る音」は大事な指針を与えてくれる。この読書会をはじめた時にほんとうにそう思った。「今これが読めて良かった」と。
この本から「気流舎」という名前をつけた創設者かとけんの慧眼を思う。
やばい、さすがだわ。

「われわれの社会構想がラディカルであろうとすれば、それは社会のシステムの構想のみで完結することはできない。コミューン論は、人間と人間との関係のあり方を問うばかりでなく、自然論、宇宙論、存在論をその中に包括しなければならない」
(「気流の鳴る音 交響するコミューン」文庫p21 序「共同体」のかなたへ「紫陽花と餅」)

「私がこれから数年の間やりたいと思っていることは、<コミューン論を問題意識とし、文化人類学・民俗学を素材とする、比較社会学>である。私は人間の生き方を発掘したい。とりわけその生き方を充たしている感覚を発掘してみたい」
(「気流の鳴る音 交響するコミューン」文庫p38 序「共同体」のかなたへ「マゲイとテキーラ」)

(文責 ホリム・ベイ)


真木悠介「気流の鳴る音 ─交響するコミューン─」
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480020703/ (出版社サイト)

気流舎BASEでも販売しています。
https://kiryuusha.shopselect.net


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