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「気流の鳴る音」オンライン読書会 2020年5月16日/ホリム・ベイ

毎週土曜日20-22時
気流舎の名前の元になった「気流の鳴る音」のオンライン読書会
各自が本の好きな場所を1時間黙読する読書会です。

どの会からでも参加可能です。他の本でもオーケー。
静かに雑音を共有しつつ少しくらいなら喋ってもいい図書館みたいなイメージ。

後半の1時間は、その日、どんな箇所に惹かれたかを共有する時間にしています。その記録。企画はホリム・ベイ。


*参加者 A

『春の聖週間にキリストの生涯を描く偶像の行列が街をねり歩くというようなことは、とりわけラテン・アメリカのカトリック諸国においてはめずらしくないことだろう。ただグァテマラやメキシコ南部でわれわれの目を奪うのは、キリスト処刑後の「痛みのマリア」の心臓に剣がさされて、その傷口からいっぱいに花が咲きこぼれていることだ。これは明らかにいけにえの血潮が花となって蘇生するというマヤの信仰だ。聖者や使徒たちの偶像と十字架のもとに、かつてアステカやマヤの神殿をくゆらせたコパル(樹脂の香)をたきしめ、花をしきつめて今なお呪術や占いの行われている村々のほこらと共に、それは強いられたキリスト教の外被の下で、インディオがその信仰の内実を生きつづけていることを示す』
(「気流の鳴る音 交響するコミューン」文庫p190 旅のノートから 「骨とまぼろし(メキシコ)」)

『「未婚の母」の問題を日本人は、まずひとつの時代性としてみる。気まぐれな流行としてみるにせよ、家族制度の解体の前兆としてみるにせよ、すべてはさらさらと音をたてて流れ来り流れ去る「歴史」のうちにおかれる。インド人はむしろ歴史をひとつの空間のうちにみる。この世にかつて起こり、これから起こる一切のことは、この視界の果てのどこかにすでに存在し、今も存在し、永劫にこの天と地の間を回流しつづけるだろう。ぼくたちは時おりそのうちのいくつかと出会う』
(「気流の鳴る音 交響するコミューン」文庫p190 旅のノートから 「時間のない大陸(インド)」)

『いっさいの価値が空しくなったとき、かえって鮮烈によみがえってくる価値というものがある。
 仏教のいちばんいい部分には、万象を空しいと観じた時に、逆にふわっと浮かび上がってくる万象の価値への感覚があるように思う。色即是空、空即是色という転移の弁証法は、人間と世界との関係のいっさいの真理をつつむ。』
(「気流の鳴る音 交響するコミューン」文庫p210 交響するコミューン 「色即是空と空即是色 ——透徹の極の転回——」)

『自然科学の語る真理は、宇宙のいっさいが物質の過程にほかならぬことを教える。われわれが死ねば自然にかえるのみであり、人間の「意識」も人類の全文化もまた、永劫の宇宙のなかでの束の間のかがやきにすぎない。この物質性の宇宙の外に、どのような神も永遠の生命も存在しない。
 ここまで幻想を解体し認識を透徹せしめた時に、はじめてわれわれは反転の弁証法をつかむ。われれれの、今ここにある、一つ一つの関係や、一つ一つの瞬間が、いかなるものの仮象でもなく、過渡でもなく、手段でもなく、前史でもなく、ひとつの永劫におきかえ不可能な現実として、かぎりない意味の彩りを帯びる。』
(「気流の鳴る音 交響するコミューン」文庫p211 交響するコミューン 「色即是空と空即是色 ——透徹の極の転回——」)

『ドン・ファンやドン・ヘナロの生きる世界や、インドやブラジルやメキシコのインディオたちの生きる世界は、さしあたりわれわれにとって<異世界>としてたちあらわれる。けれども私はこれらの世界を、異世界としての異世界として描こうとしたのではない。現代社会をひとつの凝固した物象としてみるのではなく、その存立の構造においてみるかぎり、巨視的な世界の構造においても、透視的な自我の構造においても、これらの<異世界>への抑圧のうえにはじめて、われわれの合理化された日常性がなりたっていることがわかる。そうであればこそ、それらはけっしてわれわれの生きる世界の外なるユートピアではなく、われわれ自身の世界の内部、自我の内部に呼応する解放の拠点となるのだ。
 われわれの自我の深部の異世界を解き放つこと。』
(「気流の鳴る音 交響するコミューン」文庫p230 あとがき)

*参加者B

『「<トナール>は話す(speaking)という仕方でだけ、世界をつくるんだ。それは何ひとつ創造しないし、変形さえしない、けれどもそれは世界をつくる。判断し、評価し、証言することがその機能だからさ。つまり<トナール>は、<トナール>の方式にのとって目撃し、評価することによって世界をつくるんだ。<トナール>は何ものをも創造しない創造者なのだ。いいかえれば、<トナール>は世界を理解するルールをつくりあげるんだ。だから、言い方によっては、それは世界を創造するんだ。」』
(「気流の鳴る音 交響するコミューン」文庫p69 「<トナール>と<ナワール>」)

『「われわれは生まれた時は、それにそれからしばらくの間も、完全に<ナワール>なのだ。けれども自分が機能するには、その補完物が必要だと感じられる。<トナール>が欠けているのだ。そしてそのことがわれわれに、早いうちから、自分は不完全だという感覚を与える。そこで<トナール>が発達しはじめ、それがわれわれの機能にとってきわめて重要なものになる。あまり重要なものになるので、それは<ナワール>の輝きをくもらせてしまい、<ナワール>を圧倒してしまう。われわれが完全に<トナール>になってしまったときから、われわれは、生まれた時からつきまとっていた不完全さの感覚をつのらせていくばかりなのさ。この感覚はわれわれに、完全さをもたらしてくれる他の部分が存在するということをささやきつづける。われわれが完全に<トナール>になったときから、われわれはさまざまな対立項を作りはじめる。われわれの二つの部分は霊魂と肉体だとか、精神と物質だとか、善と悪だとか、神と悪魔だとか。けれどもわれわれは、<トナール>という島の中の項目を対比させているにすぎないことに気付かない。まったくわれわれは、おかしな動物だよ。われわれは心奪われていて、狂気のさなかで自分はまったくの正気だと信じているのさ」』
(「気流の鳴る音 交響するコミューン」文庫p71 「<トナール>と<ナワール>」)

*参加者C 『ウォールデン 森の生活』ヘンリー・D. ソロー/訳・今泉 吉晴 (小学館)

『人の巨大な集団が、静かな絶望のままに、その日その日を暮らしています。あきらめとは、真の絶望にほかなりません。あなたは絶望の都市を出でて絶望の田舎に移り住み、ミンクかマスクラットの猛々しい勇気に出会って、自分を取り戻すほかありません。誰もが陥りながら意識していない絶望が、スポーツや芝居を観賞する人々の心の奥底に隠れています。そこに本当の遊び心は働いていません。本当の遊び心とは、仕事を成し遂げた後に生まれるものです。絶望に通じる事柄には関わらない姿勢こそ、私たちが身に付けたほうがいい知恵です。』(p16)

『生きるとは、私だけの実験です。たしかにほかの誰もが生きてはいますが、それを参考にすることができない、私だけの実験です。もし私がこれからも生きて、価値ある経験をしたと実感できたとしたら、それは私の人生の水先案内人であるメンターが、ひとりとして教えなかった大切なことを教える経験であると、私は信じています。』(p18)

『このように、物事を決まった型にはめ込む考え方は、限りなく変化に富み、歓びに満ちた人の暮らしを知りつくした、と勘違いした結果です。好奇心を失い、退屈しきった心情の表れです。たしかに、物事を型にはめ込む考え方は、アダムの昔からありました。けれど、あらかじめ人の可能性を推し量り、型にはめ込むことが、誰にできるでしょう。人の可能性を、過去の人が成し遂げたことを基準にして推し量ろうとしても、できるはずがありません。』(p19)

『私たちは、いつも誠実に生きるようにさせられています。変われるのに変わらず、自分の小さな暮らしを大切にし、それが唯一の生き方だと思い込んでいます。ところが実際は、ひとつの中心から無数の放射線を描くことができるように、人の生き方はみな違います。人が変わるとは、歓びあふれる奇跡であり、偉業です。この奇跡は、いつでも、今の瞬間にでも、起こって不思議はない奇跡です。孔子はこう言っています。「知るとは、本当に知ったということを知ることです。知らないことは知らないと、はっきり知ることです。」私たちは多くのことを知っていると言っても、大部分は思い込みです。知るということは、私たちが人に聞き、書物を読んで想像して理解していた事実を、自分の経験で理解した事実にするという作業です。そうして初めて人は、自分の暮らしを、自分の考えという頑丈な土台の上に築くことができるのです。』(p21)

*参加者D 鶴見 済『完全自殺マニュアル』

『はじめに。

 この本には1冊まるごと、自殺の方法だけが細かく書かれている。
 よくありがちな、自殺者のルポでもなければ、自殺に関する理屈を述べたものでもない。雑学本としても読めるけれども、あらゆるベクトルは「どうやって自殺するか」という方向に向いている。
 ゴタクはもう聞き飽きた。
「若者たちはなぜ死に走るのか?」なんてずーっと前から、何回も何回も何回も言われてきた。そのたびに、たとえば70年代なら「三無主義」とか「シラケ世代」みたいなことが結論めいて言われた。最近の流行は「死に対する感覚が、それまでの世代とは根本的に違ってきた」だ。だけど、「どうして自殺しちゃいけないのか?」「なんで生きなきゃいけないのか?」という問いには、相変わらずなんの解答もない。
 もういい。今必要なのは、自殺を実践に移すためのテキストだ。
 そういえば、10年くらい前に出た、「自殺のしかたが書かれている」という触れ込みの本も、ほどんどゴタクが並べてあっただけでうんざりした覚えがある。今知るべきことは、純粋に自殺の仕方なのだ。
 アメリカには1台だけ、ある学者が作った安楽死できる自殺装置がある。この本は日本でただひとつの、コトバによる自殺装置だ。』

*その他雑談
NHK「欲望の資本主義2020スピンオフ ジャック・アタリ 大いに語る」
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2020107650SA000/

このなかでジャック・アタリが「いま一番危険なのは、宗教とエコロジーがむすびついた過激派」という発言をしていて、「それはどういうことなのか?」と参加者のひとり。


藤原辰史
『ナチス・ドイツの有機農業 〈自然との共生〉が生んだ〈民族の絶滅〉』

ナチスの農本主義とシュタイナー農法は、反発と接近を繰り返しながらファシズム時代を共有した。〈自然との共生〉はなぜ〈民族の抹殺〉に至ったか。エコロジーに潜む危険性をナチスの農業政策に読む。


『CV (創刊準備号)』
https://ddnavi.com/book/4872338383/

気流舎作ったかとけんと当時、鶴見さんの原稿がやばいともりあがった鶴見済「人間関係の外側」が載ってます。2004年! 気流舎蔵書非売品。


『レイヴ力 rave of life』 鶴見 済 著 , 清野 栄一 著 , 木村 重樹 編集
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480873255/


『サイケデリック トランス パーティー ハンドブック』 木村 重樹 編集
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309265735/

これも木村重樹さん編集本。気流舎蔵書非売品。木村さんの仕事は重要だねっていう話をした。


『電波兄弟の赤ちゃん泥棒』 村崎百郎 著 木村重樹 著
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309012476/

村崎百郎さんとも仕事されていたんだね。


『皆既日食ハンターズガイド』(STUDIO VOICE別冊)
https://www.hmv.co.jp/artist_Book_000000000120250/item_皆既日食ハンターズガイド_1388281

これも木村さんの仕事。気流舎蔵書非売品。売る分も用意してます。
自分(ホリム・ベイ)はこの本で皆既日食行くことになったので完全に影響受けた。


うろ覚えだけどと前置きがあったあとで、「スタジオボイスに石野卓球がインドの皆既日食を追いかける記事を書いてた」という話が出たので、いつかみつけたい。いつのどの号だろう。

(文責 ホリム・ベイ)


バーチャル気流舎が楽しくできるのも、下北沢にお店があってこそ。
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