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【怪談】狸囃子

 これは私の友人がバイクで旅行をしていたときのことです。

 山あいの峠を走っていると、不意に祭り囃子ばやしが聞こえてきました。不審に思った友人がバイクを止めて耳を澄ますと、確かに小さく、風に乗ってお囃子が聞こえてきます。

 こんな山のなかで祭りとは奇妙だ、どこでやっているのだろうかと辺りを見まわしました。すると、峠から外れるようにして細い道が分かれています。

 こんなところに道があったのか、どこへ続いているのだろうかと調べてみると、その小道は目的の町の近くにつながっています。

 これは運がいい、これなら町でゆっくりできそうだ。そう思い、友人はその道に入っていきました。

 しかし行けども行けども、山を抜ける様子はありません。地図によるならば、もうとっくに町についていてもいいころです。

 そうこうしているうちに、日はどんどん落ちていきます。それに合わせて友人もどんどん不安になっていきました。

 友人は今からでも道を引き返したほうがいいのではないかと迷いながらバイクを走らせました。

 すると、道の先にボロをまとった老人の男性が現れました。老人は髪もまばらで肌も真っ黒です。ホームレスかとも思いましたが、ホームレスがこんな山奥で生活できるでしょうか。

 友人は老人のかたわらにバイクを止めると、この道は町に続いているのかとたずねました。老人がそうだと答えると、友人はお礼をいってさらに進みました。

 しかし一向に町にはたどり着けません。それどころか、道の先にぽつりと立つ老人の姿が見えてきました。友人はまさかと思いましたが、間違いなくあの老人です。

 友人はもう一度、本当にこの道は町に続いているのかとたずねました。すると老人は、本当に町に続いていると答えました。そこで友人はさらに道を進みました。しかし町には着きません。しまいには日もすっかり暮れてしまいました。

 友人は真っ暗な道を、ヘッドライトを頼りに進んでいきました。するとライトの明かりのなかに、見覚えのある老人の姿が現れました。

 友人は途方に暮れ、老人のかたわらに止まりました。

「どうしたね」

 老人がたずねました。

「どうしたもなにも、どうしても町にたどり着けないんです」
「それは困ったなあ」

 老人は自分の頬をなでます。

「あんた、この辺りで狸囃子たぬきばやしを聞かなかったかい?」
「狸囃子?」
「そうさ。誰もいないところから、どこからか祭り囃子が聞こえてこなかったかね」
「それならこの道に入る前に聞こえてきました」
「ああ、それだ。この辺りでは、狸が人を馬鹿にして、神隠しにしてしまうという言い伝えがあってな。奴らは狸囃子で人の気を引くんだよ」
「そんな……どうしたらいいんですか?」
「とにかく夜の道は危険だ。事故を起こしてしまうかもしれない。ひとまずワシのところにきなさい。日が昇ってからあらためて考えるのがいい」

 友人はこんな汚い老人と一緒にいるのも嫌でしたが、夜の山に一人でいるのも嫌でした。迷った末に、老人についていくことにしました。

 友人が連れていかれたのは小さなおんぼろの小屋で、まんなかには囲炉裏があり、鍋が火にかけられていました。鍋のなかではなにかの肉が、よくわからない山菜とともに煮られていました。

 老人いわく、たぬきが増えると悪さをするので、罠にかけて獲っては料理しているのだそうです。

 老人は鍋のなかを椀によそうと、友人に勧めてきました。友人はそんな得体の知れないものを食べるのは嫌でしたが、長時間なにも食べてないこともあり、恐る恐る椀を受け取りました。

 鼻を近づけてみると、むっと変なにおいが漂ってきて思わず顔をしかめてしまいました。

 それを見て老人は笑いました。

「狸はケモノ臭いからな。都会の人は慣れんだろう」

 そういうものだろうか、そう思いながら箸で椀の中身をすくおうとしました。すると山菜の葉の下から、人の指としか思えないものと目玉が現れました。友人はそれを見て、悲鳴を上げて椀を取り落としてしまいました。

「た、狸!?」

 老人は友人のあわてる姿を見ても平然としています。

「狸だろう。狸は増えると悪さをするからな。減らさんといかん」

 友人は震える声で言い返します。

「ち、違う……これは狸じゃない……」
「狸さ。ほら、狸がまた一匹引っかかった」

 言うが早いか、老人は隠し持っていた包丁で友人に切りかかってきました。友人はしりもちをつくと、老人の包丁を持つ手をなんとかつかみました。

 老人は枯れ木のような見た目ですが、見かけによらないほど力が強く、包丁の切っ先はじりじりと友人に近づいてきます。

 友人は老人を蹴り飛ばすと、鍋の中身を老人目がけてぶちまけました。老人は悲鳴を上げ、かかった汁を拭おうとします。すると老人の皮膚がずるりとむけ、なかから毛むくじゃらの肌が現れました。

 それを見た友人は、一目散に小屋から逃げ出しました。

 バイクにまたがり、明かりひとつない道を、ライトだけを頼りに走り続けます。

 とにかく走っていると、小さな光が見えてきました。その光を見たとたん、友人の心臓は引き絞られたようになりました。間違いなくそれは小屋の明かりで、その前には、老人の皮をかぶった毛むくじゃらな〈なにか〉が立ってにやにやと笑っていました。

 精神的に追い詰められていた友人は、だめだ、アレを倒さない限り、自分はこの山から下りられないと覚悟を決めました。そしてさらにスピードを上げると、老人に正面からぶつかっていきました。

 老人は弾き飛ばされましたが、友人もまたバランスを崩して転倒し、頭を強打してしまいました。

 次に友人が目覚めたのは、病院のベッドの上でした。友人は山中でバイクで事故を起こし、倒れてところを地元の人に発見されたのだそうです。

 連絡を受け、私も急いで見舞いに行きました。そして病室で一連の話を聞いたのです。

「にわかには信じられないなあ」

 私は素直に感想を言いました。

「おれだって信じられないよ」

 友人も言いました。

 友人が倒れていたところには大破したバイクしかなく、老人の姿は影も形もありませんでした。それこそ狸に化かされたとしか思えません。

 私は思いついた可能性を述べました。

「事故った衝撃で、昔読んだ絵本の記憶がよみがえったのかもしれないな」

 友人も頷きました。

「そうかも知れないな。でもなあ、すごくリアルだったんだよ。老人の顔の下から現れた、あの毛むくじゃらの顔が」
「毛むくじゃらの顔ねえ」

 私にはひとつ思い当たることがありました。そこであごの下に指を引っかけると、べりべりと顔の皮をはがしました。

「それはもしかして、こんな顔じゃなかったかい?」

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