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【怪談】冷たい部屋と熱い二人

 私は不動産管理会社に勤めている二十代男性です。

 十月のある日、私が営業所で事務仕事をしていると、同僚のHから声をかけられました。Hと私は同期であり、馬が合っていたのでよくつるんでいました。

 Hは次の土曜日の夜、暇かと訊いてきました。私が暇だと答えると、事故物件の調査に行かないかと誘ってきました。どういうことかと詳しく訊くと、Hの担当しているマンションの一室に幽霊が出るため、入居者が次々と退居してしまい、居つかないとのことでした。長くても半年、大体は二、三か月で出て行ってしまうそうです。

「根拠のない話でもないんだよ」

 そういってHは退居した住人が送ってきた写真をスマホで見せてくれました。窓際のカーテンの陰に、いわれてみれば髪の長い女性のようなものが写っているような気がします。

「まあ、幽霊かといわれれば、そんな気もするね」
「だろ?」
「この幽霊に心当たりはあるの?」
「あるんだよ」

 Hは頷きました。

 以前その部屋に住んでいたのは二十八歳になる漫画家の女性Sでした。何本も仕事を抱え、さらに自費出版までしていたそうです。当然のことながら激務で、一日中座りっぱなしでろくに運動もしておらず、食事もほとんどをデリバリーサービスで済ませていたそうです。徹夜が常態化しており、睡眠不足をエナジードリンクで誤魔化していました。

 そして締切明けの早朝、立ち上がって伸びをしたところで心臓マヒを起こしてしまいました。その場にいたアシスタントの誰も心臓マッサージのやりかたを知らず、救急車が到着したときにはすでに手遅れになっていました。

 私も以前そのマンションに漫画家が住んでいたことは知っていましたが、ちょっと表紙を見て自分の興味の対象外だったのでそれっきりになっていました。

 実際に幽霊が出るとして、そして幽霊が彼女だったとして、どのような理由によるのでしょうか。まだ若く、仕事や趣味が充実していたときに亡くなってしまったのだから、未練がないほうがおかしいでしょう。しかしどのようにしたらその未練を晴らすことができるのでしょうか。

 Hは上司にお祓いをしたほうがいいのではないかと掛け合ったそうですが、そんな非科学的なことに金は出せないと一蹴されたそうです。

「地鎮祭はするくせにお祓いは非科学的って、矛盾してるだろ」
「それはそうだね」

 Hは動かぬ証拠をつかんで上司に提出してやろうと思い、そのため例の部屋に泊まって心霊写真を撮るのだそうです。

 当然会社の業務外なので金は出ませんが、幽霊の出る部屋で一晩過ごすというというのはなかなか楽しそうなことで、私も興味を惹かれました。仕事で徹夜は願い下げですが、遊びとなれば逆に元気が出るというものです。

 馬鹿馬鹿しいことで騒いでいた学生時代を思い出し、私もそれに付き合うことにしました。

 私たちがマンションに到着したのは夜十時ごろでした。近隣住民に見られても怪しまれないように、スーツはきっちりと着込んでいます。

 マンションは3LDKのファミリータイプで、そこの五階の部屋をS先生は借りていました。

 電気はつかないので明かりは懐中電灯のみです。それを頼りにHは部屋のいたるところを写真で撮っていきます。

「どう? なにか写ってる?」
「いや、写ってないな。まあ、すぐに撮れるとも思えないし、気長にやろう」
「そうだね」

 一通り写真を撮り終わると、私たちは来る途中で買ってきた弁当を食べ始めました。やがて私たちは仕事についての相談やグチに時間が経つのも忘れて没頭しました。ときおり周囲の部屋の住人の動く音が聞こえてきましたが、それも夜が更けるにしたがって静かになっていきました。

 ふと我に返ると、私はぶるりと体を震わせました。気がつくと、部屋のなかはずいぶんと冷え込んでいます。

「なあ、やたら寒くないか?」
「そうだな。秋だからかな」
「それにしても寒すぎでしょ」

 私たちは自分の腕を抱きました。スーツを貫通して寒さが浸み込んできます。

 それでも私たちは話を続けていましたが、やがて寒さは耐えがたいほどになりました。

「いや、さすがにこれは異常だよ」

 私はいいました。

「予定と違うけど、もう帰らないか?」
「そうだな。日を改めるか」

 Hも同意しました。

 私たちは帰ろうとしましたが、玄関のドアを開けようとしてもノブはびくともしません。私は無意識のうちに鍵をかけてしまったのかと思い確認しましたが、鍵はかかっていません。

「どうした?」
「ドアが開かないんだよ」
「そんなことあるかよ」

 Hが代わりにドアを開けようとしますが、いくらノブを回し、鍵をひねっても、やはりドアは開きません。

 私たちは顔を見合わせました。

「壊れたのかな」
「そんなことないだろ」
「他のところはどうなんだろう」

 そこで私たちは窓へ行きました。窓にはいつの間にか白い霜が張っています。桟に触ると痛いほど冷たくなっています。

 鍵を外して窓を開けようとしても、窓も固まったように動こうとしません。

「どういうことなんだよ、これ……」

 Hが震える声でいいます。

 パキッという音が天井の辺りで鳴り、私たちははっと顔を向けました。するとまた別のところでパキッと音がします。部屋の温度が下がり、建材にゆがみが出たのでしょうか。

 Hが音の鳴ったところを写真で撮っていきます。その写真を見て私たちは驚きの声を上げました。そのうちの何枚かに、髪の長い女性が写っていたのです。

「くそっ!」

 Hが吐き捨てました。

「仕方ない。管理人に連絡して外から鍵を開けてもらおう」

 私はスマホを出して電話しようとしました。しかしつながったかと思うと、不快なノイズが溢れ出し、私は慌てて耳から離しました。

「嘘だろ……」

 私はあらためて電話し直しましたが、結果は変わりません。

「どうする? 窓ガラスを割って助けを呼ぶか?」

 私はHに訊きました。

「そんなことしたら始末書じゃすまないぞ!」
「じゃあどうするんだよ。壁を叩いて隣の住人に異常を知らせるか?」
「それもクレームになるんだよなあ……」
「そんなこといってる場合じゃないだろ」

 しかしHの態度は煮え切りません。

 話し合った結果、「さすがに朝までこれが続くこともないだろ。それまでの我慢しよう」ということになりました。

 私たちはリビングに移動すると、膝を抱えて座り込みました。すると私のスマホから着信音が鳴り出しました。おそるおそる電話に出ると、先ほどよりノイズは少なくなっており、それに混じって途切れ途切れに人の声が聞こえてきました。

 私は息を殺してその声を聞き取ろうとしました。するとどうやら、

「だけえ……だけえ……」

 といっているようです。

 そして何度か繰り返すと、ブツッと切れてしまいました。

「どうだった?」
「いや、なんか、だけえとだけ繰り返して切れちゃった」
「だけえ?」

 Hはしばらく考え込んでいましたが、はっと顔を上げました。

「そうか! 相撲だ!」
「は?」
「さあ! 相撲を取ろう!」

 私はついにHが狂ったのかと思いました。

「いや、なんでだよ」
「運動すれば体温も上がる! 二人でできる運動なら相撲が最適だ!」
「な、なるほど!」

 私も同意しました。このとき、私も狂っていたのかもしれません。

 冷静になって考えれば、運動するのに二人一組になる必要はないですし、二人でするにしても相撲である必要もありません。しかしそのときは、それがとてもよいアイデアであるように思えたのです。

 私たちは蹲踞の姿勢で向かい合いました。

「いくぞ!」
「よし!」

 Hの掛け声に私も頷きます。

「はっけよーい、のこった!」

 私たちはがっぷり四つに組みました。私たちの力は拮抗しており、なかなか動きません。

「くっ……むっ……」

 Hの熱い吐息が耳にかかり、思わずぞくぞくしてしまいます。

 ――この同僚……すけべ過ぎる!

 Hの筋肉の動きがスーツ越しに伝わってきます。

「ふん!」

 Hが力を込めます。それに合わせ、私は少し体をずらしました。Hは勢い余ってバランスを崩し、床に手をついてしまいました。

「俺の勝ちだね」
「くそっ! もう一回だ!」

 Hが本気で悔しがります。

「いいよ! 来な!」

 私はクイクイッと手招きします。

 立ち上がったHとふたたび組み合います。Hは先ほどよりも気合いが入っています。

「むっ……」

 私も堪えようとしますが、じわじわと押し込まれていきます。

「ふんっ!」

 私の後ろで手を組んだHが私を持ち上げました。

「なっ!?」

 私はなすすべもなく壁に押しつけられてしまいます。

「寄り切りだな」

 Hが勝ち誇った笑みを浮かべました。

「ここに土俵はないぞ。寄り切りは無効だ」
「それならこうだ」

 Hが床に私をねじ伏せました。私の顔のすぐ上に同僚の顔が迫ります。

「これなら文句はないな?」
「……ない」

 私は悔しくて絞り出すように答えました。

「さあ! もう一回やるぞ!」

 はやる心を抑え切れず、私は立ち上がりました。

 こうして十回も相撲を取ったときにはすっかりへとへとになり、私たちは座り込んでネクタイをゆるめました。全身から汗が流れ出し、あれほど寒かったのが心地よく感じるほどでした。

 そこでふたたび電話がかかってきました。電話に出ると、ノイズの向こうから、

「ありが……とう……ありが……とう……」

 と聞こえてきました。

「あっ! あれは!」

 Hの指さす方を見ると、冷気のもやが集まり、女性の形になっています。女性は拝むように手を合わせていましたが、次第にその姿も消えていきました。そしてそれと同時に電話も切れました。

 ある予感を覚え、私たちは玄関に向かいました。あれほどびくともしなかったドアは、なんの抵抗もなく開き、秋の夜風が私たちを迎えました。

 無事に帰ることができたとはいえ、本当に幽霊は成仏したのか、成仏したのならなぜあれで成仏したのか、謎は残っています。

 私は営業所で通販サイトのS先生のページを見ながら、なにか手がかりはないかと考えていました。すると私の後ろを通りがかった事務の女の子が食いついてきました。

「えっ!? BLに興味があるんですか!?」
「びーえる?」

 私が訊き返すと、彼女はしまったという顔になりました。

「あっ、いえ、わたしの勘違いでした。なんでもありません」

 そそくさと立ち去ろうとする彼女を私は引きとめました。

「ちょっと待って。そのBLというのはなに?」

 彼女はいいづらそうにしながら教えてくれました。

「えっとお……BLというのはボーイズラブの略でえ……簡単にいうと男の人同士のお付き合いといいますか……」
「なるほど、このS先生はBLの作家だったんだ」
「そうです。主にサラリーマン物を描いていました」
「サラリーマンだったらボーイじゃなくない?」
「そこはそれ、言葉のアヤというもので……」

 なるほど、と私は納得しました。S先生はサラリーマン物BLに未練があった。そこへのこのことやってきた私たちにくんずほぐれつさせて満足したのです。

 この推測は当たっていたようで、その後、そのマンションで幽霊が出るということはなくなったということです。

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