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かぐや姫は地球に行きたい 3-5

 王の謁見室から逃げるように飛び出した姫は、力の抜けきった若君の手を引っ張る。あまりにも力が抜けているので数歩も進まないうちに、姫は若君を荷物のように抱え上げ、宮廷の廊下を走り出した。通り過ぎる人たちは皆、噂通り仲睦まじい様子の若君と姫に目を細めて頭を下げるが、頭を上げる頃には「いや、どんな状況?」と、眉根を寄せていた。
 とある部屋のドアが開き、姫が若君をフカフカのソファーに投げ落とした時、若君はようやく我に返った。

「え、ちょっ、姫様? 一体何を?」

 驚きうろたえる若君が身を起こして辺りを見渡せば、そこは、つい最近姫を出迎え、プロポーズまでされた場所。月外に籠や船などを射出又は格納する、言わば月の玄関口である。だが、今、若君は見たことのない金属製の低い壁に囲まれていた。

「ロダ、状況は?」

 若君の問いには一切答えない姫は、低い壁の外側にいるロダに尋ねつつ、淡々と若君の体にベルトを回していく。

「燃料補給は完了しています。現在システムのアップデート中。再起動後、出発できます」
「あらら。小さい頃に完成させて以来、動かしてなかったからね。そもそも使うのは初めてだし。父上がとやかく言ってくる前に出発できるといいんだけど」

 ロダの報告に苦笑しつつ、手を動かし続ける姫によって、若君の体はついにソファーに完全に固定される。

「姫様、これは一体?」

 すっかり身動きが取れなくなった若君がすがるように聞けば、姫はようやく若君と目を合わして、にこりと笑う。

「私が作った宇宙船よ。地球人の期待に応えて、円盤型。5人乗りで荷物入れが大きめの、乗り込み口上部タイプ」

 若君としては、どうして自分が拘束されているのかを聞いたつもりだったが、方向性が違うその回答でもおおよその状況は読めてしまった。

「姫様は本当に地球に行ってしまわれるんですか?」

 恐る恐る尋ねる若君に、姫は「もちろん」と、大きく頷く。

「随分他人事ね? 本当はロダにも地球を見てほしいんだけど。試乗なし初運転で定員オーバーの船はさすがに自信なくて」

 姫がそう言葉を続ければ、慌ただしく準備を進めているらしいロダの「お構いなく。どうぞ安全運転で」という声が、どこからか聞こえてくる。ロダに笑顔を返す姫の横、若君はなぜかひどく思い詰めた顔をしている。

「無理ですから。姫様がいないなら、王位になんてつきませんから。僕はずっとあなたと一緒にいたいから、怖くてもあなたの婚約者でいたのに。王になると決めたのに」
「ジル?」

 堰を切ったように話し出す若君の話がさっぱり読めない姫は、困ったようにその顔を覗き込む。若君は姫をしっかりと見つめ、はっきりと告げる。

「慕ってくださらなくても、どれだけ僕を利用しても構いません。でも、あなただけ地球に住むなんて、絶対に嫌ですから!」

 付近にいる人全員に聞こえるほどの大声で言い切った若君に、姫はようやく若君の勘違いに気づいた。思えば、王との話し合いの途中で固まっていた若君は、未だ結論に辿り着いていないのだろう。

「ジル、あなた思い違いをしている上に、誤解してるわ」

 システムの再起動が完了したらしく、宇宙船の中に表示されたコントロールパネルを姫は軽くいじった後、もう一度、若君に向き直る。

「あなたと私はこれからもずっと月で暮らす。今は、地球に人を迎えに行くだけ。お世話になった父上と母上と、あのやらかした画家をね?」
「え?」

 しばらく目を泳がせていた若君だったが、次第に謁見室での記憶が戻ってきたらしく「ああ」と、声を漏らす。記憶が繋がり、冷静さが戻ってくれば、ふと疑問が沸く。

「それで私は、どうして縛られているんです?」
「安全のためのシートベルトよ」
「そうではなく、私も一緒に地球に迎えに行くということですか?」
「あら、嫌なの? 私とずっと一緒にいたいんじゃなかった?」
「それはそうなんですが……」

 よくよく落ち着いてみれば、この宇宙船で地球に行くのはすごく恐ろしい気がしてきた若君。「小さい頃に作った」とか「初めて使う」とか、言っていた気がする。やけに厳重に締められたシートベルトが、いっそう恐怖心を煽る。「一緒にいたいが、これで行くのは嫌」という複雑な表情の若君の心情を知ってか知らずか、姫はついで誤解の方を解きにかかる。

「ジル、私は確かに、あなたのおじい様も、あなたとの結婚も、使えるものは何でも使うわ。利用されてると思って当然。でも、慕われてないとは思ってほしくない。私、あなたが好きよ?」

 真剣な顔の姫の言葉に、若君はしばらく目を瞬かせる。

「……あ、申し訳ありません。姫様の思いは日々受け取っています。これまでの記憶が邪魔をして、つい……」

 姫に忘れ去られ、会う度に自己紹介をしていた若君の日々は、婚約者らしくなった姫と過ごす今日このごろよりも、はるかに長かった。突然に婚約者然とされても、姫が求めているのは自分の立場であって、自分そのものではないのではないかと、度々自信をなくしてしまう。

「……そうね。ずっとあなたを忘れていたくせに、言えることじゃないけど、多分ずっと好きだったのよ。だって、記憶力の使い方がおかしくなったのもあなたのため。記憶を全部なくして1番初めに思い出したのも、あなたのことなんだもの」

 姫は若君に優しく微笑みながらそう言うと、コントロールパネルを再びいじる。辺り一帯を甘酸っぱい空気にするだけしておいて、姫手作り宇宙船の上部の乗り込み口が閉じていく。

「ってことで、そろそろ出発ね。ロダ、後のことは頼んだわよ」

 少し前から鳴り続けている王からの内線は完全に無視し、全てをロダに丸投げて、地球へと出発する姫の宇宙船。一刻も早く出たかっただろうに、若君との話を優先させたところに、ロダは姫の若君への思いの深さを感じずにはいられない。そして何より、この場面をレオに見せてやりたかったと残念がるロダであった。

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