見出し画像

かぐや姫は地球に行きたい 1-7

 読書中の姫が、雑談や世間話の類いに耳を傾けることは、ほとんどない。だから、姫から答えが返ってくるなんて、聞いた宮廷画家本人が1番驚いたことだろう。

「何冊かなんて、数えたことはなかったわね。宮廷図書は、あれでどのくらいなのかしら」
「えっ……。あ、申し訳ございません。存じ上げません」

 返ってきた会話のラリーに戸惑う画家が頭を下げると、姫の隣で若君が控えめに口を開いた。

「確か、2万に満たないほどだったかと」

 姫は驚いたように目を丸くして、すぐ隣に座る若君を見つめる。

「あら、たったそれだけなの? 少ないわね。地球にはもっとたくさんの本があるというのに」
「地球人は、そんなにたくさんの本を読んでいるんですか?」
「いいえ。全地球にある本のうち、ほんのわずかしか読めていないでしょうね。ただでさえ、地球の時の流れは早いから」

 「じゃあ、どうしてそんなに」という若君の呟きに答えたのは、レオだった。

「地球には娯楽のため、趣味、仕事のための本が多いですよね。時の流れが早い分、より効率的で、経験や感情の凝縮した人生を求めているのではないかと僕は思いますが」
「そうね、概ね同感だわ」

 姫がレオを見やりそう言えば、レオは満足気に一礼した。その横「せっっかく、若君様と姫様が話してたのに、マジで入ってくんなよ」と、ロダは荒ぶる心を必死で抑え込む。そんなところに「いやはや、皆様は流石に、教養が深くあられますな」なんて、画家までもが入ってきたものだから、ロダは画家に向かって何かをぶん投げたい衝動に駆られたし、画家が軽く続けた「私なんて、時を止めても、2万冊なんて読めませんよ」という言葉に、さっさと硬めのものを投げておけばよかったと激しく後悔した。

「いいわね。時がいっそ止まれば、地球の本を読み切れるのに」

 姫が同意した瞬間、宮廷画家は息を大きく飲み、筆を取り落とす。その顔からは血の気が失せ、呼吸が荒くなる。「どうかした?」と怪訝な顔になる姫の横、若君の顔は強ばり、レオは暗く鋭い目で宮廷画家を睨みつける。

「あ……あっ……ち、違います」

 息も絶え絶え、そう言葉を出した顔面蒼白の画家に、レオは小さく舌打ちをしたのがロダには聞こえた。レオは椅子に座る姫のもとに足早に駆け寄ると「失礼」と、姫の左手を取り、姫の腕時計の文字盤の蓋を上げる。

「ふひゃっ……」

 間抜けな声を出して、その場に倒れ込む宮廷画家。姫は訝しげな顔を、自分の左手を掴んだままのレオに向け直す。

「どういうつもり?」
「大変失礼致しました。その者の望み通り、時を止めてあげようかと」

 姫の手を丁寧に元の位置に戻すと、レオは深々と頭を下げる。

「……意識がなければ、時を止めても意味がないじゃない。……レオ、ほんとのところは?」

 姫は、スイッチ一つで麻酔針の飛び出る腕時計の文字盤の蓋を元に戻すと、未だ頭を下げているレオに眉をひそめて問い尋ねる。

「申し訳ございません。姫様のそれ、前々からどうしても試してみたくて」

 顔を上げたレオが、腕時計の形をした麻酔銃を手で指し、あっさりと告白すれば、姫はしばらく呆気に取られていたものの、次第に可笑しそうに笑い出す。

「全く、仕方のない人ね。そんなに気に入ったのなら、これ、あげるわ」

 手首からあっさりとそれを外した姫に、「針は1日1本、自動で生成されるから」と、説明しながら渡され、今度はレオが呆気に取られる。

「……よ、よろしいのですか?」
「いいのよ。実はこれ、公式からグッズで出てて、いくつも持ってるのよ。まあ、それらに麻酔銃の機能はないんだけどね。でも、こんな私の作ったおもちゃより、公式グッズの方が余程いいでしょ?」

 楽しそうに説明する姫に「どっちがおもちゃだよ」と、心中ツッコまざるをえない3人。しかし、なんであれ、姫から危ないおもちゃを取り上げるチャンスなので、レオは姫の気が変わらないうちに、ありがたく受け取った。

「で、あの人しばらく起きないわよ? 私は奥で待つわね」

 床に崩れ落ちたままの宮廷画家をチラリと見た姫は、ロダに残りの本を要求する。奥で待つ――すなわち、集中して本を読めるという状況になったことに、わくわくと目を輝かせる姫。
 その時、一瞬の間に、若君、レオ、ロダの間でアイコンタクトが取られた。

「姫様、もし良ければ、私と一緒に少し出ませんか?」

 若君からの誘いに、輝いていた目の光が秒で消える姫。

「よろしくないから、行かなくていいかしら」

 速攻の断りに、若君の目の光も消えるのを見てとったロダは「ああ、そうでした!」と、やや大きめの声で姫に近づく。

「姫様、お伝えし忘れていたのですが、薬草園の者がネムレルクサがいい頃合いだと申しておりました。一度おいでになってはいかがでしょうか?」
「姫の薬草園! いいじゃないですか! ぜひ若君もお連れになって」

 ロダの勧めに、レオもグイグイと押し続け、若君も「ぜひ案内してください」と、微笑む。しばらく「ほん……。やくそう……」と、迷うように呟いていた姫は、躊躇いながらもロダに持っていた本を渡す。

「いってらっしゃいませ」

 姫の気が変わらないうちに、ロダとレオは扉の外までさっさと追いやり、2人が歩いていくのを見送った後、扉を固く閉じた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?